更新日:2023年03月20日 10:51
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マフラーは首に巻くもの。そう思っていた時期もありました――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第38話>

とんでもない場所にあった高岡のマフラー

 「ちょっと小便」  「あ、俺も」  「なんだよ、仕方ねえなあ、俺もするか」  「一人にするなって、俺も行くよ」  こうして、僕らはトンネルの入り口脇の壁に向かって、一列に並んで立小便をした。そこで誰かが言った。  「こういうの、大人になったら思い出すのかな」  「わからん」  なんだか、その言葉が印象的で、妙に心の中にのこった。ありふれた街に住んでいたありふれた僕たち、きっとこの瞬間もありふれたものなのだろう。  けれども、なんだか、全てがありふれているのに、もうここには戻ってこられないような、そんな気がした。全てがありふれているというのに、取り戻すことのできない瞬間で、それでいてすぐ忘れてしまうような、そんな瞬間に思えたのだ。  「いやあ、それにしてもみんなあれだけバカにしていたのに信じて赤いものを首に巻いてくるとはねえ」  「もうそれを言うなよ」  「めちゃくちゃ気品あるマフラーやん、それ」  「まさか信じて首に巻いてくるとはねー」  勝ち誇る高岡のちんこを横目で見ると、カリ首に赤い毛糸が巻いてあった。  お前も信じて首に巻いてきてるじゃねえか、何がどうなって首じゃなくてカリ首に巻いてるのかわからねえけど、あーあー、小便で濡れてるじゃねえか。首を手首とか足首とかじゃねえ、カリ首と間違えてやがる。確かに大切だけどさ。  「こいつ、ずっと首なしライダーのことカリ首がないライダーだと思ってたのかな」  屈託のない高岡の笑顔を見てそう思った。それと同時に、高岡の言っていた首なしライダーなのにヘルメットの矛盾が解けた。そりゃカリ首がないライダーならヘルメットつけられるわ。  ありふれた思い出ですぐに忘れてしまうはずのものだったのに、首とカリ首を勘違いした高岡のせいで印象的なものになってしまったのだった。  ありふれた街に住んでいた僕たちのありふれた思い出。さあ、そのありふれた街に久々に帰るか。僕はそっと車を走らせた。カリ首をボリボリと掻きながら。 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri) ロゴ・イラスト/マミヤ狂四郎(@mamiyak46
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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