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“世間”が中途半端に壊れた今、生き延びるために必要なこととは/鴻上尚史

かつては世間が私達を守ってくれたけれど…

 欧米には「世間」という身内が集まる空間と「社会」という知らない人が集まる空間の区別はありません。  というか、11世紀から12世紀にかけて、キリスト教が綿密に「世間」を消していきました。頼るべきは、「世間」ではなく、「神」だと教えるために。(詳しいことを知りたい方は、拙著「『空気』と『世間』」“講談社現代新書”か「『空気』を読んでも従わない:生き苦しさからラクになる」“岩波ジュニア新書”を)  結果、欧米では、先週書いたような「自分とはまったく関係のない人達と話す言葉」や「コミュニケイション技術」が発達したのです。というか、生き延びるためには、発達せざるをえなかったのです。  もちろん、世界中には、SNSでいきなりとんでもない言葉をぶつけてくる人はいます。  英語では、そういう人のことを、「Internet troll」と言います。妖怪というかクリーチャーの「トロル」です。あきらかに、特殊な少数の人達、というイメージです。  でも、日本だと「ネット民」なんて言ったりします。妖怪と比べるとあまり特殊で少数なイメージはないです。SNSで出会う人のうち、1割しか信用できないのなら、逆に、信用できる人の方が特殊で少数になるのでしょう。  総務省の元のデータを調べてみると、「オフラインで出会うほとんどの人は信用できる」というものすごい質問には、「そう思う」「ややそう思う」は、日本人は33.7%、アメリカ人は63.7%、ドイツ人は68%、イギリス人は70.4%です。  言わずもがなですが、日本人は、相手が自分の「世間」に属していると分かるとこの数字は急上昇すると思います。共通の知り合いがいる、同じ会社、同郷、同窓、何かのつながりを感じれば、信用します。逆に言えば、何のつながりもないとなかなか信用しないのです。  僕は、「人間を信用しよう」なんていう「道徳」の話をしているのではありません。  僕は、「生き延びるため」の話をしています。  昔、「世間」が充分に機能して、私達を守ってくれて、収入から結婚、あらゆる面倒を見てくれていた時代は、「社会」なんかありませんでした。村落共同体や会社共同体のルールに従っていれば良かったのです。  でも、今、「世間」は中途半端に壊れて、私達を守ってくれなくなりました。そのため、「社会」と会話する技術を身につけることが苦しみを和らげ、生き延びる最も重要な方法だと思っているのです。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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