コロナショックによって、世の中のかなりのものが実は不要不急であり、なくても別に生きていけるという認識になってしまい、「総去勢社会」になっていくような恐怖に似た感覚になりました。
今まで
非正規労働者が支えていた旧来型のエンタメ産業(飲食、ホテル、ファッション性の高い小売、イベント関連など)は人間の生活を豊かにするためにも必要なものだとされてきたはずでした。しかし、それが「プチ贅沢」という位置づけにされたため、実質的な失業者が増大しました。
カネがかからない「そこそこの楽しみ」が選ばれる
どんな環境にあっても楽しむ人、悲観する人というタイプはいますが、中間のどちらでもなかった人のうちの一定層が、「大人しくしているだけでもまあまあ過ごせるので、それを好む・選ぶ」という認識になった感があります。
より正確にいえば、「
それで節約できて、お金の点で少しでも安心できるなら……」が判断基準として優位になってきています。ディズニーランドに行くのも楽しいけど、近所の公園でもまあまあ楽しい。前者もタダならいいのですが、家族3、4人で2万~3万円もかけるのならば、後者を選ぶということです。
※画像はイメージです(以下同)
飲食も「宅飲み」は安あがりだけど、誰かが準備や後片付けで面倒くさい思いをするうえに騒音に気を使わなければなりませんでした。でも、「オンライン飲み」は飲食を各自で好きなようにできるし、安くて手間いらずで、そこそこ楽しく移動時間も場所の制約もなく、むしろ「理想的」と感じる人が出てきています。
カネをかけて100の楽しみを追求するならば、カネをかけずに70で十分という体験を、いろいろな人がコロナショックをきっかけにトライアルしてしまったことが、大きな節目になりました。そして、それはなんといってもお金に対する将来不安が後押ししています。
地方から都心に出てきた人は改めて家賃の無慈悲な破壊力にも気づきました。
今後、実家へ戻る若年層が増えていくと予測しています。
都心から地方に戻ろうとすれば、人口減少問題や地域創生課題もあって地元は歓迎してくれます。以前なら「夢を追え」とか「ケチ」とか言われたことが、「まだ大地震も起こっていないし、バブル崩壊、リーマンショック、コロナショックのような事件が今後も起こりうるから備えないと」と合理的な姿勢と捉える人が増えてきました。
今まで普通の人間が普通に楽しく過ごしていくための産業が「贅沢で不要不急」になり、一方で元々あったデジタル化、生産性向上への動きが加速。そうした動きは大企業から「贅肉」を削ぐように促します。さらに会社のサービス、もしくはオペレーションにおける
デジタル化の有無により、「時代に乗れる/乗れない」という新しい格差を生み出します。
経済センサスなどの統計によれば、これまでの日本は「大企業30%、中小企業70%」。少し乱暴な分析ですが、貧富もほぼ同等の割合で構成されていました。実際には大企業でも不遇な人と中小企業でも恵まれている人はいますが、その比率が大きく変わらないと考えられます。それが今後は「大企業10%、デジタル領域3%、中小企業87%」のようになってくるイメージです。
あまり実感がないかもしれませんが、デジタル領域は増加する負荷を自動処理が引き取ってくれますので、追加的な労働力はそんなに必要ありません。例えば、2019年度のデータによると、楽天のネットサービス事業は売り上げ約7900億円に対して従事者はおおよそ1万人です。
一方で同じ小売業であるイオンはGMS(総合スーパーマーケット)事業は売り上げ3兆8000億円に対して9万7000万人、SM(スーパーマーケット)事業は売上3兆円2000億に対して10万人が従事しています。
7兆円という楽天の10倍の売り上げを作るのに、イオンは20万人という20倍の人手がかかっています。すなわち20倍の雇用を生み出してきたというわけです。
現在、楽天市場はコロナショックの影響で売り上げが数倍に上がっているとも言われている一方、クローズを余儀なくされたイオンの小売部門の売り上げは惨憺たるものでしょう。残念ながらこれは一過性ではなく、全国で余剰人員が発生する可能性が高いです。
ちなみに楽天の5年前の同事業は売り上げ3630億円に対して従事者は約9000人でした。
5年間で売り上げが倍以上になっても、追加の人間は10%ほどしか必要ではありませんでした。増える売り上げと負荷はデジタル処理が頑張ってくれていますので、追加の人員はほぼ不要なわけです。要するにスキルなどは考慮せずにいえば、
デジタル化が進めば進むほど小売に必要な人は激減します。