ライフ

母の入院先からの連絡、別れの後にやってきた現実/鴻上尚史

10カ月ぶりに見る母親

 木曜日の夜、劇場に寄った後、故郷に飛びました。病院には、夜11時過ぎに着きました。  10カ月ぶりに見る母親は、人工呼吸器をつけて、必死で息をしていました。  福岡に住む弟が先に着いていたので、二人で母親に話しかけました。  息子二人が一緒に話しかけるのは、1年以上ぶりでした。  母親に届けばいいなと思いました。  明確な反応はないのですが、それでも頭や身体が少し動いたりします。  1時間ほど傍にいて、容体が変わらないようなので、「明日来るよ」と声をかけて帰りました。  その1時間半後、病院からまた電話がかかってきて、深夜2時半に母親は亡くなりました。  目立った反応はなかったけれど、息子二人の声を聞いて安心したんだろうかと思いました。  脳梗塞で寝たきりになっても、聞こえているかもしれない、分かっているかもしれない、身体の器官で最後まで動いているのは耳なんだ、と思いながら、面会のたびに話しかけてきました。  冷たくなった母親の額に手を当てて「お疲れさまでした」と声をかけました。ゆっくりと休んで下さいと。  そこから、現実がやってきました。

淡々と算定されていく「死」の金額

 葬儀社の人が遺体を引き取りに来るので40分ほど待って欲しいと言われ、その後、遺体と共に葬儀社に呼ばれました。  担当の人が現れて「今から、2時間ほど、通夜とお葬式の打合せ、よろしいですか」と言われました。  夜中の4時近くでした。  去年、父親が亡くなった時は、「3時間ほど、よろしいですか」と言われました。夜の9時頃でしたから、葬儀社の人も気をつかって1時間、少なめに言ってくれたんだなと思います。  そこから、死を金額に変える話し合いが始まりました。  骨壺が何円から何円まであってどれにするか、棺桶が何円から何円まであってどれにするか、死装束が何円から何円まであってどれにするか、花籠が何円から何円まであってどれにするか。30から40項目ぐらいあるでしょうか。去年の父親と同じことが始まりました。  葬儀社の方は親切で何の不満もありません。納得できないことがあるとしたら、「死を金額で算定する」というシステムでしょうか。思いをすべて金額にする手続き。  これが、日本の葬式なのかと思いながら、朝の6時まで打合せは続きました。  この話、続きます。
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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