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統一教会より悪質な 「民主主義の敵」<著述家・菅野完氏>

―[月刊日本]―

常軌を逸したものも出始めた統一教会関連報道

統一教会

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 統一教会に関する報道は「書けば売れる」という安易な状態にある。各社ともその安易さに慣れ、常軌を逸した報道を連発するようになってきた。  その筆頭株は、毎日新聞だろう。同紙は11月7日と8日の両日にわたり、朝刊一面トップにこのような見出しを踊らせた。 「文鮮明氏『安倍派中心に』 89年発言録で判明 旧統一教会が政界工作」 「安倍氏側近と『会え』 文鮮明氏、06年に指示 首相就任直後」  見出しを読めばあたかも「毎日新聞が掘り起こした、統一教会と自民党安倍派の癒着に関するスクープだ」との印象を受ける。しかし記事の内容は全くそうではない。単に毎日新聞が『文鮮明マルスム選集』(文鮮明の発言録。教団の経典の一つ)を読み込み(しかも実物ではなく、ネットに無断転載されていたものを読んだのだという)、当該発言を発見したというのだ。有り体に言えば「文鮮明がそう言っていた」という話でしかない。  だからなんだというのか。  相手はカルト宗教である。教祖の発言の中に、一国の政治を左右するだの、その国を支配するだのといった文言が出てくるほうがむしろ自然なのだ。武力による国家転覆路線に転じる直前のオウム真理教でさえ政界進出計画を有していたし、麻原彰晃は政治家に対して絶大な影響力を有していると嘯いてさえいた。オウムや統一教会などの〝有名どころ〟カルトだけではなく顕正会や幸福の科学などのマイナーなカルトでも「政府を支配する」だの「日本を統治する」だのといった言動は横行している。神だのメシアだのと自称する連中である。現実と大きくかけ離れていようとなんであろうと、自分を大きく見せたがるのが連中の性なのだ。  居酒屋の酔客が口にする大言壮語に報道価値がないのと同じように、カルトの教祖の大言壮語にはなんの報道価値もない。一方、教祖の口走る大言壮語と現実の差を、教団がどのようにして埋めようとしているかについては、大いに報道価値がある。オウム真理教が麻原彰晃の吐く大言壮語と現実との差異を埋めるためテロに走ったことからもわかるように、本来社会が注目し、報道が検証しなければいけないポイントは、まさにその点だ。しかし毎日新聞は(今のところ)そうした仕事をせず、単に「ネットに転載されていた統一教会の教祖の発言」を転載しているだけである。  これでは実質的に統一教会の宣伝機関に堕したも同然ではないか。おそらく毎日新聞も平時であればこんな愚行を犯すこともなかったはずである。「統一教会という言葉さえ含まれていれば、売れる!」という安易なムードに迎合してしまったのだろう。

「宗教二世」に対する安易な報道

 この安易なムードに流されるあまり、報道が具体的に人を傷つけてしまうケースも生まれ始めている。  いわゆる「宗教二世」の取り扱いがまさにそれだ。安倍晋三横死事件を受け、ようやく世間は、深刻な悩みを抱える宗教二世の方々の存在に気づき、その声に耳を傾けるようになった。そうした世間の変化に、当事者の方々も柔軟に対応しておられ、ご多忙かつお辛い中にもかかわらず、メディアからの求めに応じて、被害実態を切実に訴えておられる。  しかし問題はメディア側だ。メディアが採録する「宗教二世としての告発」の中には、当然さまざまな宗教の二世の声が含まれてくる。だが報道する段になるとなぜか「統一教会二世」の声だけが取り上げられるのだ。「他の宗教の宗教二世の声を採用しない」のならまだ許容できるが、中には「他の宗教の宗教二世の告発であるにもかかわらず、統一教会の宗教二世の告発として紹介する」という事例さえ生まれ始めている。現にこうしたメディアの行為で深く傷ついている二世は多数存在している。  メディア側からすれば現場の勘違いや編集のミスによって生じた〝些細な〟手違いのレベルかも知れないが、勇気を持って告発した当事者からすれば再起不能に近いダメージを受けてしまう。こんな悪質な行為が横行するのも「統一教会とさえ書いておけば、売れる」という安易なムードに流されてしまっているせいだろう。  この安易なムードは報道だけでなく、国会での議論も歪め始めている。
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歪み始めた国会での議論
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月刊日本2022年12月号

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