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統一教会より悪質な 「民主主義の敵」<著述家・菅野完氏>

歪み始めた国会での議論

 文部科学省はいよいよ、統一教会に対し、宗教法人法で規定された「質問権」を行使するのだという。本件に関し報道は「文科省は、旧統一教会をめぐり、組織的な不法行為を認めた民事判決が2件、使用者責任が認められた民事判決が少なくとも20件あることなどから、基準に合致すると判断した」(11月9日付 朝日新聞)などと、あたかも文科省が能動的に動いたかのように伝えているが、実態はそうではない。  そもそも、統一教会の使用者責任や組織的な不法行為を認定した民事判決の存在を根拠に、統一教会に対して質問権を行使し、裁判所に解散命令の請求を行うべきであると文科省に要求してきたのは、野党各党だった。安倍晋三横死事件発生直後から、野党各党はこの声を繰り返しあらゆるチャネルを通じて、文科省にぶつけてきた。  しかしその度に文科省側は「質問権の行使や解散命令の請求権は、あくまでも教団そのものや、教団幹部が、刑事事件で有罪判決を受けた場合にのみ行使されるものだ」と言い張り、野党の要求を拒絶しつづけてきた。現場の文科省がそうである以上、政府見解も全く同じもので、今国会開催後の総理答弁もこの線を維持していた。  文科省・政府のこの頑なさは一概に批判されるべき代物ではない。現に過去の「解散命令の請求」が刑事事件の有罪判決に起因するものばかりである以上、また「質問権」が宗教法人法に新設されたきっかけが、オウム事件という紛うことなき刑事事件であった以上、政府が解散命令の請求権や質問権の行使について抑制的な態度をとることはむしろ好ましい姿だと言うべきだ。  しかしこの政府の見解が急遽、崩壊する。きっかけは10月17日から19日にかけての岸田総理の国会審議の〝崩壊〟にある。  17日午前、総理は永岡文科大臣に統一教会に対する質問権の発動を指示した。そして総理は同日午後の衆院予算委員会で「統一教会に関しては民法709条を根拠とした組織としての不法行為を認定する判決がでている」ことに言及するとともに「質問権の発動は、解散命令の請求を視野に入れたものである」旨の答弁を行っている。しかし翌18日になって総理は、衆院予算委員会で「民法上の不法行為は、解散権の請求の根拠にならない」と、前日の答弁と全く逆の答弁を行ってしまう。政府答弁の迷走ぶりを野党が放置するわけもなく、総理は翌19日釈明に追われ、同じく衆院予算委員会にて「民法上の不法行為の認定も、解散命令請求の根拠たりうる」と明言し、政府答弁がその線で確定するという事態となった。この答弁で、質問権の行使はおろか、解散命令の請求まで、今の状態でも十分行使可能となったのだ。つまり、これまで頑なに守られてきた政府見解は一瞬にして180度の大転換を見せたことになる。

「民主主義の敵」は誰なのか?

 こうした岸田総理の迷走ぶりは当時「朝令暮改」とメディアからの批判を浴びていたのでご記憶の方も多かろう。だが問題は「朝令暮改」であることそのものではない。問題は、結果的にであるにせよ、政府見解が180度違ったものになったにもかかわらず、法解釈の大転換に至るに相応しい慎重な検討が政府部内において一切行われていないところにある。  確かに「民事裁判の判決も解散命令請求の根拠たりうる」という解釈変更に関しては、総理が内閣法制局にその検討を命じたようではある。しかしそれは、18日に総理が衆院予算委員会で「民法上の不法行為は、解散権の請求の根拠にならない」と答弁してしまい、17日答弁との齟齬が生まれた後のことである。ありていに言えば、内閣法制局は、総理答弁の矛盾に対する弥縫策の策定を命じられたに過ぎない。  本来総理は、17日午前に永岡文科大臣に質問権の発動を命じる前に、内閣法制局をはじめとする政府関係部署に、慎重な議論と法解釈変更を根拠づけるロジックの構築を命じておくべきだったのだ。だが総理はそれを怠った。そのタイミングでの慎重な検討を怠ったがために、答弁に矛盾をきたし、その矛盾を解消するためだけに政府見解を180度転換するという醜態を晒すことになったのだ。  総理がここまで焦った理由は明白だ。総理は低下する一方の内閣支持率だけを気にしていた。どの世論調査でも統一教会問題こそが内閣支持率低下の主要因であると伝えている。拙速にすぎた永岡文科大臣への質問権発動の指示がなされた10月17日が月曜日だったのは偶然ではなかろう。週末に実施された報道各社の世論調査の結果を意識していたことは明らかではないか。そう考えると総理の姿勢には、統一教会に対して断固たる処置をとる決意もなければ、世論に抗ってでも法を守ろうとする覚悟もない。これでは、単に世論に流される凧のようなものでしかないではないか。  報道も政治も、沸騰する統一教会に対する世論に流され、報道の原則や、法治の原則を曲げるようであれば、もはや処置なしとしか言いようがなかろう。この有様では、メディアや政府の方が、統一教会よりも悪質な〝民主主義の敵〟と言わざるを得まい。 <文/菅野完> 初出:月刊日本12月号
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月刊日本2022年12月号

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