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同性婚をやりたいなら、堂々と憲法改正を訴えよ/倉山満

余計なことを書いていない帝国憲法

 憲法典には最小限の内容だけ書きこむ。時代に合わせて運用できるようにだ。だから、解釈改憲が可能だった。確かに帝国憲法には政党政治は規定されていないが、禁止もされていない。日露戦争に勝つまでは元老が政治を独占したが、戦勝後は「民衆の意向に従う政治」が求められ、政党政治が確立した。その後の昭和の愚かな運用で政党政治は失われたが、それは憲法の欠陥ではなく、政治の問題だ。  また、帝国憲法には「男女平等」とは書いていない。同時に「不平等」とも書いていない。当初の明治の民法で、女性は準禁治産者のような扱いだったが、法改正や判例により男女平等をもたらした。余計なことを書いていないので、時代に合わせた運用が可能だったのだ。  一方、今の憲法はどうか。日本国憲法第五章には詳細に議院内閣制が規定されているが、民衆の意向に従う政治が実現しているかどうかは、大いに疑問だ。むしろ、「条文に書いてあることを守れば何をしても良い」と言わんばかりの政治が横行してきたのが戦後政治だ。

余計なことを書きすぎた日本国憲法

 憲法9条などは余計なことを書きすぎた。要約すると、「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」だ。小学生でもわかる要約だ。  しかし、自衛隊は存在し、戦いに備えている。「放棄した戦争は侵略だけであって、自衛は放棄していない」「自衛隊は侵略する能力がないから違憲ではない」「否認した交戦権とは、国際法上の一部の権利である」と、読めなくはない解釈を行った。  仮に制定当初の趣旨のような、小学生でもわかる解釈を続けたら、日本は独立国ではありえない。しかし憲法改正は政治情勢が許さなかった。そこで、解釈改憲を行ったのだ。  法制局(後に内閣法制局と名称変更)は、憲法制定過程においてGHQに激しく抵抗した。結果、一度は潰されたが、独立明けに復活した。そして、憲法9条を骨抜きにし続けた。むしろ、昭和30年代までの自民党政権が、日本を独立国に戻すために、内閣法制局に権力を与えたとも言える。国民に諮らずに憲法を骨抜きにする絶大な権力だ。これを「憲法改正権力」と言い、主権そのもの。
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要するに、解釈改憲とは選挙で選ばれていない官僚に生殺与奪の権を与えるに等しい
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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