第235回

10月20日「現代アートの現在」

・現代美術作品の展示会「横浜トリエンナーレ」。3年置きのイベント。インターコンチネンタルホテル壁面の巨大バッタからもう4年てことか。今回は山下埠頭突端に巨大な敷地を確保して行われている(12月18日まで)。

・スペース的にとても自由度が高い。ホール外側は埠頭という最高に抜けのよい空間を利用したショウイングもできる(写真のオブジェはドイツのヴォルフガング・ヴィンター & べルトルト・ホルベルト作品 )。また「観客参加型」もあり。こういった環境の捉え方がアーティストによって完全に二分されているところが興味深かった。

・例えば、制作中の状況を見せ、来場者とコミュニケーションを取ろうとする形式は、確かにありだと思う。しかしそれは、準備不足で汚い現場をさらしてしまうこととは違うような気がする。そういうことを得々とやってしまうアーティストに限って、インターネットというインフラによって既に世界のあり方が変わっていることを知ろうとしていないのだ。70年代カウンター・カルチャーの洗礼は相当なものだったのだろうが、以降「アートと名乗ればなんでもアートだ」という傲慢な思想の上にあぐらをかいたまま何十年と腐り続けてきた人々も、いるように思える。

・一方、最新テクノロジーを貪欲に取り込み、映像と音響と立体物を駆使して広大にして精緻な空間を作り込んでいる作品も多く見受けられた。高嶺格作『鹿児島エスペラント』は必見。


10月21日「ひぐらしなきやまず」

・『ひぐらしのなく頃に』の「罪滅ぼし編」をプレイしていたら、読売新聞から電話。この作品についてインタビューに答えて欲しいとのこと。既に竜騎士07さんにも取材されたらしい。喜んで引き受ける。こういう機会は、だらだらとプレイしている時の自分の考えを外側から再確認するのにとても良い。

・『ファウスト』vol.5での対談で喋った内容をより一般的に話すことがメインとなったが、このシリーズについては今改めて強調しておきたかったこともいくつかあった。例えばモニター上の文学、という可能性。クリックで出現していく物語は一行一行に紙上のそれとは違うインパクトを持たせることができる。例えばこのコンテンツならケータイで読ませてもイケると思う。

・それから、サウンドノベルの新しい文学性を、選択肢をなくして分冊形式にしたことで際だたせたということ。可能性宇宙を繰り返し繰り返し見る、という視点が、重要なのである。もし四次元に立つことができたら、そこから世界はこういうふうに見えるはずなのだ。

・そして、その閉鎖宇宙にはエッジがある。例えばギャルゲーにおいてのエッジは、すなわち「青春の終焉」である。そこは地球が平面だったころの世界の果てのように怖ろしく残酷である。オタク少年は30になっても40になってもそこから出たくないわけである。

・この「可能性宇宙のループ」と「閉鎖空間のエッジ」が、最新作ではとても強調されているように思うのである。どうだろう。

10月22日「“笑わない”縛り」

・ティム・バートン監督の『コープス・ブライド』。生きていないはずの人形達を生き生きと動かして、死人を演じさせる。っていう矛盾した狙いが、ティム・バートンの屈折しきった感性とシンクロするわけだ。いや矛盾して屈折しすぎて一周回って素直なラブ・ファンタジーに仕上がっている。

・人形アニメのキャラクター達を「笑わせない」という縛りで撮っているというところが凄い美学だと思う。今どきのゴスっ子達はこれ100回見て、「笑わなくてもチャーミング」「怒っててもセクシー」な表情を研究するべきだ。コレクションドールも買い、だろう。

2006.02.27 |  第231回~

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。