第302回

3月5日「メイドと聞けば……」

・シンガポール映画『冥土』試写。メイドさんが主人公のホラーだからって、冥土と書いてメイドって。しかしまんまとつられてしまう私。

・内容は本格アジアン・ホラーである。『theEYE』のプロデューサーがシンガポールを舞台に、現地の監督を起用して製作したものだ。フィリピンからメイドとして出稼ぎに来た少女が、知らず知らずのうちにタブーを犯してしまい……という展開がアジア異文化交流の現在を象徴していて面白い。背後からいきなりどやしつけるような怖がらせ方には好き嫌いがあると思うが、土の匂いのするお化け屋敷みたいな感覚は不思議と懐かしい。

・島ぜんたいがまるでディズニーランドのように造成されている人工都市国家シンガポールの夜はとても不思議だ(=写真)。住宅地で、規則正しく並ぶ街灯の光が届かない暗がりを覗くとそこで古来の儀式がひそやかに行われていたりするのである。そんな特異性を、うまく映像化している。

3月6日「未亡人と聞けば……」

・『ボルベール』試写。カンヌで女優賞と脚本賞を獲っている。付け尻をして演じているペネロペ・クルスの色気と、そして設定とくに人間関係が見事に生かされたストーリー展開に、うならされる。

・主人公の主婦(ペネロペ・クルス)は、夫と伯母に相次いで先立たれたのち、数年前に死んだはずの母を見かけたという噂を耳にする。その母親はついに実体化し、彼女の前に現れ、語り始める。

・生者と死者の境界が曖昧になっていく展開だが、これは実はオカルトではない。後半、いろいろな不条理や謎がきっちり合理的に収まっていく。日本のミステリー小説ファンにもお薦めしたい。

・登場するのは、いろいろな事情で独り身になった中年女性たち。それがちっとも暗くならない。絶え間なく発散される彼女たちの生命力が、死の喪失感をぽんぽんうち消していくのが痛快なのである。夫の死体を冷凍してしまうとさっと気分を切り替えて新しい仕事に熱中し始める、そんなシーンがとてもいい。

3月7日「事務所周辺が観光地化」

・神楽坂に事務所がある(今、窓から、芸者さんが三味線をかかえて歩いている姿が見えてるよ)。この界隈、ドラマの撮影とその見物人でえらいことになってるなあと思ってるうちに連日観光客がおしよせてくるようになった。

・この街の風情は「花街」というキーワードで語られることが多いが、重要なのはそれが「残った」ということだ。バブルの頃は地上げ屋が歩き回っていた時期もあったが、結局諦めて出ていった。理由はひとことで言うと細い坂道が多いことである。安定しない地形に建物が密集しているため、大がかりなリニューアルが不可能だったのである。

・江戸時代の地図と現在の地図を重ねて見ると、都心ではこの界隈だけが大通りから路地までぴったり一致する。最初にひいた道を二度と作り直すことができなかったわけだ。そのおかげで、街が博物館化したのである。

・最近、伝統のある建築物で相続に失敗して幽霊屋敷化してしまった物件を多く見かける。だがここ数年、そういうところをうまく活用した古屋敷風カフェや料亭風レストランがたくさんオープンしている。味も雰囲気もとても良いところも多いので、一見さんにはこういうところがお薦め。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。