雑学

人生は決して諦めないこと…映画『トランボ』に学ぶ【コラムニスト木村和久】

―木村和久の「オヤ充のススメ」その125ー

映画『トランボ』

映画『トランボ』©Photo: Hilary Bronwyn Gayle

 7月22日から公開される映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』は、名作「ローマの休日」の脚本家だったダルトン・トランボの、自伝的映画とでもいうのでしょうか。「ローマの休日」(1953年)が封切りされた頃、原案・脚本の欄には全く別の名前がクレジットされていました。つまり、トランボは友人の脚本家の名前を使って作品を提供し、アカデミー原案賞を受賞したのです。

 なんでトランボは、偽名で書いたのか? それはトランボが、共産主義者に加担しているということで、「赤狩り」にあい、投獄されたからです。そんな弾圧を受けたトランボが、いかにして名誉を回復したかが、この映画のテーマです。

 最近の日本でも炎上とか、理不尽な弾圧を受ける人が多いですが、そういう方たちにも、トランボの生き方はとても参考になると思います。

 トランボの弾圧の話を書く以前に、映画産業そのものが、弾圧の歴史だったことが驚きです。そもそもハリウッドが映画の都となったのは、発明王エジソンが、自分が発明した映画から、お金を徴収しようしたことに始まります。これを嫌ったユダヤ人たちがニューヨークから離れた、ハリウッドならエジソンも追ってこまいと、セットを作り始めたのです。

 そんなハリウッドから、さらに迫害されようとは、トランボも数奇な運命の星のもとに生まれましたな。1950年代、アメリカに吹き荒れた「マッカーシズム」は、共産主義者や賛同者に対して、ヒステリックに攻撃し、失職させ、果ては投獄に追い込んだのです。

 そんな時代の雰囲気を機敏に感じ取った巨匠ウィリアム・ワイラー(ドイツ生まれ、ベン・ハーなど名作多数)は、ハリウッドでは口うるさい注文が多くて映画作りに専念できない。ここはいっそ海外ロケをして自由な気風で「ローマの休日」を作ろうとなった次第。ダルトン・トランボは原作から参加。けどタイミングが悪かった。封切時には、すでに赤狩りにあい、偽名での参加となったのです。

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トランボはどうやって名誉を回復したのか?

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