更新日:2022年08月19日 10:17
スポーツ

落合博満GMが解任!落合が消えた球界が失うものとは…

映画評論からの”金言”

 最後は2013年の著書『戦士の休息』(岩波書店)から。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーがアイデアを持ちかけて実現した映画評論をまとめた一冊である。 戦士の休息 なかでもチャップリンを絶賛する落合氏は、チャップリンをもって「映画のよき時代は終わったのである。」(p.52)と記し、「映画の世界における描写や制作手法は、ある意味で出尽くしたと言ってもいいのではないか。」(p.52)とまで言っている。  と、ここまでならばありがちな“映画はもうオワコン”説で終わってしまうだろう。しかし落合氏は“オワコン”を受け入れながらも、まだやりようはあると語ってみせるのだ。 <ゆえに、現代の作品は、チャップリンのような昔の名作のいい部分を取り入れ、つなげて作っていくものなのではないだろうか。そういう意味で、時代は繰り返されていいものだと考えている。>(pp.52-53)  ここで注目すべきは、「時代は繰り返されていい」というフレーズだろう。同じく“オワコン”の危機に瀕している音楽について、全く同様の指摘した批評家がいるからである。 <偉大な音楽家というのは、過去全体を自己のなかに受け入れて、しかもそれをふたたび忘れるに十分なだけ強い者であろう。ふたたび芸術の諸形式が、万人に理解される―――あるいは少なくとも理解能力のある人々に理解される―――言語として生きるような時代は幸福であろう。> (アルフレート・アインシュタイン『音楽における偉大さ』《新装復刊》白水社 訳:浅井真男 p.294)

落合に、”野球の言葉”を立て直してほしい

 こうしてみると、改めて落合博満は圧倒的な存在だと思い知らされる。いまこんな話をさらっとしてみせる野球人は皆無だ。  大谷翔平や中田翔に対する栗山監督の愛のムチは微笑ましいし、「神ってる」も流行語大賞に選ばれた。だが、ひとたび野球界から離れたとき、それらの言葉にどれほどの価値があると言えるだろうか?真剣に耳を傾け、考えるべきテーマはあるのだろうか?  落合氏の今後は不明だが、一説には巨人入りするのではないかとの説もある。筆者はその日を心待ちにしている。それは巨人を強くしてほしいと思うからではない。いまいちど“野球の言葉”を立て直してほしいと切に願っているからである。 <TEXT/石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
1
2
おすすめ記事
【関連キーワードから記事を探す】