ゴッチ先生が教えてくれた“いかに生きるかHow to be a man”――フミ斎藤のプロレス読本#004【プロローグ編4】
その昔――アメリカにおいては1980年代まで、日本においては1990年代前半あたりまで――プロレスラーはひじょうになりにくい職業だった。
新日本プロレスと全日本プロレスの老舗2団体とUWF系、女子プロレスでは全日本女子プロレスと後発の数団体しか存在しなかった時代の日本のプロレス界では、各団体が独自に新人選手を育成していた。
プロレスラー志望の若者は、まず団体に履歴書を送り、書類審査をパスし、入門テストに合格し、さらに道場での苦しいトレーニング期間と合宿所での厳しい団体生活の両方を乗り越えた者だけがプロとしてデビューすることを許されていた。
入門する時点ですでにかなりのレベルまでふるいにかけらているから、練習生といっても合宿所に寝泊まりしている“プロレスラーの卵”は優秀なアスリートばかりで、いったん入門を許可され、さまざまなイニシエーションを通過すると上がるリングは保証されてはいるが、入門すること自体がむずかしいのが日本のプロレス団体の特徴だった。
アメリカの若者がプロレスを志す場合、だいたいふたつの道がある。ひとつはレスリング・スクールに入学する方法で、もうひとつは“伝説のレスラー”に弟子入りを直談判する方法だ。
レスリング・スクールはアメリカじゅうに点在していて、それほど“狭き門”ではない。入学金と月謝を納めればだれでもプロレスの基本を学べるのがアメリカのレスラー養成所の現状だが、こういったレスリング・スクールでトレーニングを積んでも、じっさいにプロレスラーとしてデビューできるかどうかはまったく約束されていない。
入るのはわりとかんたんだが、入ってからがたいへんで、あとは本人の努力次第なのがアメリカのプロレス。いっぽう、難関を突破して入門さえすれば、あとは団体が敷いたレールによってデビューまでの道が用意されているのが日本のプロレス。なんだかアメリカと日本の大学受験のシステムのちがいにも似ている。
1980年代から1990年代にかけてアメリカで名門とされていたのはミネソタ州ミネアポリスの“ブラッド・レイガンズ道場”とフロリダ州タンパの“マレンコ道場”だったが、このふたつの道場は現役選手、引退した元プロレスラーやその家族、プロレス関係者などの推薦状がなければ入学できないシステムになっていた。
“レイガンズ道場”も“マレンコ道場”も数多くの一流レスラーを輩出し、その指導カリキュラムには定評があり、日本のプロレス界との結びつきも強かった。現在はどちらの道場も活動を休止している。
ハルク・ホーガン、ポール・オーンドーフ、レックス・ルーガー、ロン・シモンズらをコーチした“名伯楽”ヒロ・マツダさんは、いちどもレスリング・スクールの看板を出してビジネスをしたことはなかった。
「入門志願者にレスラーになるための適性があるかどうかを判断するのは教える側の義務」というのがマツダさんの考え方で、だれでもかんたんに入学できる塾のようなレスリング・スクールというメソッドには否定的で「ファンからお金をとってプロレスごっこを教えるとはけしからん」と話していた。
アントニオ猪木から藤波辰爾、藤原喜明、佐山サトル、そして、前田日明、高田延彦らをはじめとするUWF世代、船木誠勝、鈴木みのるらパンクラス旗揚げグループまでをコーチした“神様”カール・ゴッチもアメリカではほとんど弟子をとったことがなかった。
ゴッチ先生はぼくにこう教えてくれた。
「レスリングの技術よりも大切なことがある。それは、いかに生きるかHow to be a manだ」
だれがいちばん強いかではなく、タフガイでもストロングでもグッド・パフォーマーでもなく、プロレスラーとして、そして、人として、いちばん大切なことは“いかに生きるかHow to be a man”なのである。(つづく)
※この連載は月~金で毎日更新されます
文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

斎藤文彦
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
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