女子バスケ日本代表・渡嘉敷来夢の心に響いた恩師の言葉「スーパースターだったら…」
―[もぎたて!女子アスリート最前線]―
~もぎたて!女子アスリート最前線 第8回~
先日のアジア選手権で2連覇を果たし、リオデジャネイロオリンピック出場権を獲得したバスケットボール女子日本代表の渡嘉敷来夢選手。「自分に合う服のサイズが国内にはなくて……」と、はにかみながら海外ブランドの洋服を颯爽と着こなす姿は、コートの外でも、規格外の女子アスリートであることを感じさせる。
小学校の頃は陸上走り幅跳びの選手であったが、ルール変更で飛び方がかわることで競技の変更を決めたという。
「小学生の頃は陸上(走り幅跳び)をやっていましたが、もともと球技が好きで、どのスポーツにするか考えたときに『ファッション的にもかっこいいしやってみよう』と軽いノリで始めたんです。最初はうまくなりたいというよりは、みんなとやっているのが楽しいという感じで、自分でも着々とうまくなっていってるのがわかり、それとともに注目されるようになっていくのも感じました」(渡嘉敷選手)
高校は名門桜花学園に進学。「お父さん的存在で、試合や練習以外でも気さくに話せて頼りになる」と自身が語る、恩師・井上監督との出会いで技術面と精神面の両方の教育のお蔭で悩んだ時も前に進むことができたのだという。
「その後、サンフラワーズに入団した理由は、WNBA(注:アメリカの女子プロバスケットボールリーグ)に一番近いチームだと感じたからです。入団当時、自分には高さはあったけど、身体の強さがなかったので、小さな選手でも体をもっていかれることが多かった。高校生とは違い練習量の違いからくる体の差や技術の差を感じました。大きな挫折というものはありませんが、2010年、足首の怪我で半年のリハビリ期間に、自分がバスケットをしていてプレイに関して、なんであんなに消極的だったり周りに気を使ってやっていたんだろうと我に帰れる時間でした」
オリンピックの最終予選に出場できなかったことで、代表に対する思いやバスケットに対する思いが今まで以上に強くなった。昨年11月15日の対富士通戦で92対64と完敗。その時に恩師の言葉が脳裏をよぎった。
〈スーパースターだったら、どんな状況でもチームを勝利に導ける。でも勝利できなかったんだから、スーパースターでも何でもないんだ自覚しろ〉
当時の試合でも点を獲れてはいたけど、勝利に導くことができなかったことを思い出したという。この試合前もチーム状況はあまり良くなかったので、この負けは、自分の心にかなり響いたという。
「次の試合は怖かったです。『またこうなるんじゃないか』とか考えてしまいました。克服できたのは、誰にも文句言えないように結果を残すしかなかった。先日のアジア選手権はチームとしても日本代表としてもいい状態で、特に決勝の中国戦は「殿堂入りかな!」というぐらいの試合でした。個人がどうこうという話じゃなく最高のゲームで相手側の中国が沈黙してしまうというぐらいに、日本代表の勝ちへの気迫が漲っていました。この試合で日本のバスケットを披露できたと思います。今後はリーグ戦を大事に試合していくことが日本代表に繋がるとおもいますし、オリンピックでは自分のバスケを披露できるように頑張りたいと思います」
“自分のバスケ”というと、やはりダンクシュートのような、豪快なプレーのことだろうか。
「ダンクに特別な思いはないのですが、観客が盛り上がるので武器としてはいいかなというぐらいですね。そもそも、日本とアメリカのバスケットボールの違いでいうと、日本が優れているのはスピードで、パワーと高さはアメリカに分があります。アメリカに行くと自分のように背の高い選手は沢山いるのですが、スピードで負けることはなかった。世界を視野に入れての戦いなので、豪快なプレイもいいけど、スピード&タフネスに磨きをかけていきたいですね」
⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=967996
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