渡辺浩弐の日々是コージ中
第495回
12月17日「PSヴィータ」
・朝6:00に新宿西口に。PSヴィータの行列だ。
・そこでSCEのめんめんと会い、運よく(というかありがたくも)車に便乗させてもらえた。一緒に池袋、有楽町、秋葉原、……と、各地のゲームショップを回る。この新しい商品をどう展示しどう販売するか、各店の苦心が見受けられる。僕は特にカウンターでのやりとりに注意していた。客ごとに環境や知識量に大きな差があるから、店側も大変だ。Wifi環境は、3G回線契約は、メモリー容量は、など、など。ネットで買えてもこういう相談ができるから実店舗に行く、という人も多いはずだ。
・車内ではSCE河野弘プレジデントと隣になり、いろいろ話すことができた。アメリカでオンラインのビジネス構築に携わった経験もある人で、ネットについて非常に新しいコンセプトを持っている。ジョブズみたいな仕事をできる人かもしれない。
・話の一部は動画に撮ってもらっていた。「プレコミュ」で公開して頂くことになった。
12月18日「ツイッター」
・今年やったことで、来年さらにやることについて書いておきますね。その1。小説のオンライン対応。
・ネットを創作と発表のツールとして使う試みとして、今年8月から11月まで、ツイッターで長編小説を連載してみた。
・問題点は、どうしても連投せざるをえないこと。フォロワーの皆さんには時として不快な思いをさせたことだろう。連投のたび、つまり毎日、ごっそりとリフォローされ、その一方でどかんとフォローしてもらい、と、その繰り返しだった。正確にはわからないが、100日間の連載で1000人くらい減って、1500人くらい増えた感じ。
・リアルタイムで読んで下さっていた方はユニークカウントで3000人くらいと思われる。これは僕にとっては大きな数だ。というか、文芸誌に連載するくらいの媒体効果は、既にあると思う。
・ただしツイッターをたんに掲載誌として使うことには反対だ。ここでしか生まれない文学が絶対にあると思う。この連載には、そのことを実例をもって示す、という使命感もあった。今後、ツイッターでは、普通の小説をただ細切れに読ませるなんてことをやる人はいなくなるだろう。
・次はツイッターと紙、紙とメルマガの連携などの展開も、やってみたい。ツイッターのようなメディアがPSヴィータのような仕組みの上で進化していく、その道筋にも期待している。
12月19日「ニコニコ」
・その2。ニコニコとゲームの接点を広げていくこと。
・ニコニコ生放送やニコニコチャンネルが始まった頃、ゲームメーカーを1社1社回ってネット生放送への理解を願い、同時にこれを広報メディアとして活用するように勧めてまわった。都内だけではなくもちろん京都などにも行ったよ。
・どこもちゃんと話は聞いてくれたけどそこまでで止まりがちだった。そうほんの2、3年前まで、ゲーム界の人達に「ネットは危険だ」と思われていたのだ。僕は自分の経営しているカフェにメーカーの人達を集めて時々パーティーを行い、その場から生放送したりした。気楽に出演してもらい、ソフトを紹介してもらったわけだ。双方向の放送については、体験的に理解してもらうしかないからだ。
・弁護士にも相談し、著作権処理のフォーマットを作って共有したりもした。ほぼ全てのメーカーがニコニコでのゲーム映像公開を許諾してくれるようになるまでに2年以上かかった。今は重要な発表についてむしろニコニコを最優先にするメーカーも多い。またゲーム機はニコニコを基本アプリとして載せていくことが普通のことになりそうだ。本当に面白くなるのは、これからだ。
12月20日「中野ブロードウェイ」
・その3。中野ブロードウェイで経営している、例のカフェ(Kカフェ)の活用。
・最近は編集者の太田克史さんや作家の佐藤友哉さんと週1ペースでここに集まり、ニコ生をやっている。
・目的も結論も決めずにゆるりと話しているが、そんな中、僕にとってとても大きいことが決まったりしている。『死ぬのがこわくなくなる話』の書籍バージョンを作ること。星海社さんと一緒に作らせていただきますよ。
・放送中に電話で北海道在住の若手作家・小柳粒男くんをそそのかした。ら、彼はすぐに片道切符で上京してきた。そこでKカフェを久しぶりに開店してカンパを募った。彼はその応援をばねに、東京での生活をスタートした。
・カフェはサロンであり情報発信拠点でもありつつ、そういう場所として機能してもいいのではと思ってる。寺山修司の劇団みたいなね。ともかく、皆さんありがとう。