第514回

6月9日「バブルの思い出」

・バブル景気の頃に会社を作ったのは、どこに行っても、お願いしますお金を受け取ってください、と言われたからだ。一つだけ条件があって、それが「法人の領収書を出すこと」だった。

・ひたすら飲みに誘われては六本木や赤坂に行く毎日だった。先方としては、僕が同席したことで接待という理由になり領収書を落とせるのである。さんざん飲み食いさせてもらった上で札束を渡され、こちらからは「講演料」「企画料」「アドバイス料」といった領収書を切る。

・そういうのだけではなく、顧問契約をすれば何もしなくても毎月ウン百万くれた。どの会社も、お金が余って困っていて、けれどゴミとして捨てるわけにはいかないからもらってくれる人を探している、そんな感じだった。これは大げさな話ではない。実際、竹やぶに1億円が捨てられていたりした時代なのである。

・さすがにこわくなって勉強して、知恵をしぼった。例えばヘリコプターを買った。といっても操縦できるわけでもないから、タワーマンションのリビングに5年間おきっぱなしにしておいた。ヘリコプターは5年で償却できる。つまり税金でもってかれるはずのお金で買って、5年後に売れば、そのお金はそっくり儲かる、というわけである。

・さて、今再び、景気が異常発酵している。2020年までにバブルはぱんぱんに膨らむとも言われている。今度はどんな世の中になるのかなと考える。

・正体のわからないことにまでどんどんお金が使われる状況は、悪いことではないと思う。特にゲームやデジタルエンターテインメントの世界で、すぐには採算がとれそうもないプロジェクトに巨費が投じられることが、ずっと後になってからの成果に結びついていくことがある。

・平成バブルからITバブルにかけての時期は、3D-CGがブームとなり、バーチャル・リアリティーという概念が注目されていた頃だ。いろいろなところから、そこにざぶざぶと資金が投入された。ブロジェクトの多くは頓挫し、完成した作品も採算が取れたものは少なかった。例えばゴーグル型モニター対応のゲームソフトはその当時既にたくさん作られたのだが、ハードウェアのスペック的に全方向映像空間をリアルタイム処理することは不可能で、実用に耐えうる域には達していなかった。

・しかし当時の努力は、現在のVRゲームの市場において、ようやく実ろうとしている。ハードウェアのスペック向上と低価格化が進み(具体的にはフル3Dの数千万ポリゴン空間を60fpsで動かせるシステムが数万円で販売できるようになり)、1990年に描かれたコンセプトデザインをようやく実現化できるようになったわけだ。

・お金が動く時期に唯一イヤなのは正体不明の不思議な人々がどこからか大量に湧いてくることだ。身なりは良く、やたらと弁が立ち、予算10億円以上の企画書をたくさん持ち歩いている。そのプロジェクトには大物政治家や有名経済人がすでに多数関わっていると言う。そういう人が、裏付けのない、実現性のないアイデアだけでお金を集めてしまえるのがバブルだった。

・当時、西武の堤さん(←今でいう孫さんのような位置づけ)の親友だと自称する人に10人くらいは会った。そういう人たちがゲーム業界に盛んに入り込もうとしていた。メーカーの人によく相談されて、なんかおかしなプレゼンに出席させられたりした。へーすごいですねーとだけ答えて別れると、別のところでは僕がそいつの仲間だということにされてたりした。今、彼らの名前を検索しても、どこにも見かけないのだが、みんな田舎に帰ってしまわれたんだろうか。

・話がそれた。何を言いたいかというと、エンターテインメント系の企業は、今の好景気でもし想定以上の収益が上がったら、今から30年後のテクノロジーに投資するべきだ、ということ。

2018.06.09 |  第511回~

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。