第295回

1月20日「妖怪より怖いもの」

・「昆虫食パーティー」終了後、今をときめく平山”このミス一位”夢明氏のお誘いで渋谷に移動。胃の中にみっちりと詰まった触覚や体節を順調に消化しつつ、亀井亨監督作品『妖怪奇談』を観る。今どきの若者達が、普通の日常のなかで妖怪に変化していく、というカフカ的展開。

・スレンダーになりたい、とか、綺麗な爪を持ちたい、とか、クールに無表情に過ごしたい、といった少女達の潜在的願望が肉体の上に実体化していくと、そこにはまぎれもないフリークスが現れる。そして、そんな妖怪自体の怖さよりも、フリークスを見る周囲の人々の視線の怖さがじわじわと浮かび上がってくる。

・上映のあと、亀井さんと平山さんのトークショウを拝見。このコンビでもたくさん映画を作られているのだ。映像の現場はデジタル化のおかげで若返り活気づいているみたいで、一線にいる人たちは皆とても生き生きしている。

1月18日「もはや古典芸能」

・『ロッキー・ザ・ファイナル』。何も足さない、何も引かない、100パーセント、あのロッキー。タイトルが出るだけで、あの音楽がかかるだけで、パブロフの犬のように元気になってニワトリ追いかけ回したくなる人が全世界に何億人もいることだろう。その上に安住していいのか。いいのだこれは古典芸能なのだから。

・冒頭、テレビ番組の企画で、コンピュータ・シミュレーションにより全盛期のロッキーと現在の世界チャンピオンを戦わせるというところが面白い。古典はデジタル化され再生産される時代なのである。

・老人となったロッキーは、思い出の中に住み同じ場所で同じ会話を続ける悠々生活に、ある日、疑問を感じる。しかしその姿を見る観客は、あの見飽きた姿そのままの再現を期待するのだ。そしてスタローンはそれにきちんと応えてくれる。あの音楽に乗ってまた階段駆け上がりぶら下がった肉をなぐり生卵を飲んでくれる。

・団塊世代は今後こういうコンテンツばかりを求めるのだろう。テクノロジーはそれに応える。すなわちフルデジタル化されることによって世界は進歩を止め、そこで空転するのである。

・この映画製作の過程でスタローンの肉体は精密にデジタル化されたはずだ。とすると、10年後に70歳のスタローンが『ロッキー・リターンズ』を制作することも可能かもしれない。

1月25日「電子ブック端末、DSとケータイでいいじゃん」

・『ウィッシュルーム』(DS/任天堂)プレイ。DS本体を文庫本のように縦に持って開いてプレイする。内容も本格的な設定のハードボイルド小説をきちんと「読ませる」ことに重点を置いている。

・紙の本を意識した作品としては、メディアワークスから人気ラノベ作品をベースにしたDS電撃文庫シリーズというのがリリースされている。ノベルゲームに近いフォーマットをDS上に提示したものだ。ハードボイルドもライトノベルもこういうツールに良くハマる。

・ただし価格や利便性において、今後この領域は携帯電話がメインになるのではないかと思う。ゲーム機ならではの操作のバリエーションは魅力的だが、普段メールしたりブログやニュースサイト覗いたりしているインフラの上でそのまま読める、という利点はあまりにも大きい。

・いずれにせよゲームと小説(特にミステリーやライトノベル)の境界は溶けつつある。ノベルゲームも過激に進化拡大を続けている。評論メディア側も変革を迫られるだろう。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。