第310回

5月5日「どう付き合うべきか」

・中国から帰国。4日間にわたり、密度の濃い取材をすることができた。現状をどう解釈するべきか、講談社BOXの太田編集長と帰路ずっと議論していた。実はまだ頭の整理がついていなくて、レポート記事をどう書くか悩んでいる。

・著作権で食べている人間の一人としては、中国という国に対しては複雑な思いがある。それは今回、解消されるどころかより強くなった。アニメやマンガを国家を上げて応援していこうと言っている。その戦略として政府が主催しているイベントにまで、日本作品のコピーものやパクリものが溢れている現実。コンテンツ産業に力を入れている一方で、知的所有権の扱いはゆるい。これはもしかしたら手を抜いているのではなく、意図して持続している状態なのかもしれない。特にマンガやアニメについては日本発のコンテンツであるという認識をあえて斬り捨てつつ作り手と受け手を育て、その上に自国の産業を成立させようとしているのではないか。

・ただし襟を正して見守るべきと思えるものもとても多かった。今回、様々な立場の人々から生の声を聞くことができたが、100のデタラメの上に1のホンモノが現れつつある状況を実感した。中国の場合、分母があまりにも大きいから、それで充分なのである。

・中国の現状についてはつっこみどころが多すぎる。だからついVOW的な目線で嗤いものにして済まそうという風潮がある。しかし、そうやっているうちに今大切なものを見過ごしてしまったら、10年後、嗤われるのは我々の側なのだ。自分としては当分、中国語とコスプレをがんばろうと思う

5月6日「やっと気づいたかマリオ」

・連休が1日残っていた。たまったゲームをいろいろ遊ぶ。Wiiの『スーパーペーパーマリオ』がとても良い。「次元ワザ」を使えるようになると、 2Dから3Dの世界へ移動できるようになる。この切り替わりが見事。2Dゲームとしてのマリオの良さを残しつつ、ゲームを進化させているのである。

・そして、世界観の解釈も面白い。マリオが、実はこの世界には奥行きがあったと気づくのである。ほんの一歩奥に入れば後ろに道があった。扉があった。簡単だったんじゃん。ファミコン時代やスーファミ時代のあの苦労はいったい何だったんだろう。

・マリオは言うまでもなく日本のいや全世界の宝である。こういうキャラクターは新しいアイデア、新しいコンテンツをいつまでも喚起し続けるのだ。ではその最初のオリジナリティーはどういうふうに生まれるのかと考えると、なかなか難しい。日本のゲームやアニメの制作現場にいまだに残っている混沌。それをできるだけ触らずにそのまま放置しておくべきか、それとも今のうちに徹底的に分析しておくべきなのか。

5月14日「アメリカの笑い方」

・『ボラット』観る。カザフスタン国営放送レポーターを名乗る謎の男ボラット・サカディエフが、アメリカの、微妙なポリティカリー・コレクトネスを要求される微妙な場所に突入し、たどたどしい英語で空気を読まない差別発言を繰り返す。覇権主義者が集まる南部のロデオ大会で「イラク市民を皆殺しにしろ!」とアジテート。フェミニストの集会に出席して「女性の脳はリス並み」という持論を披露。銃砲店では「ユダヤ人を撃つにはどの銃がいい」と聞く。

・先進国からさらに先に進んでどうしようもない場所まで行ってしまったアメリカは、これから悪い意味でもお手本として機能していくのだろう。そのために映画は有効だ。ただしここで話題になっている特攻ぶりは、技法の一つに過ぎない。作り込まれたシナリオをベースにして街頭演劇をやっているわけだ。主役は、巻き込まれる一般市民ではなく、あくまでもボラット(バロン・コーエン)なのだ。

・ドキュメンタリーというよりも、これは綿密に作り込まれたコメディとして評価したい。頭の暖かい男が美しい姫のイメージを胸に愚鈍な従士を引きつれ旅をする。その恐れ知らずな善良さは一般市民を怒らせ、呆れさせつつ、社会に潜む偽善を暴いてしまう。そんな物語を、現代版の『ドン・キホーテ』と捉えるとマジに感動できたりする……かも。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。