渡辺浩弐の日々是コージ中
第386回
10月17日「本物は残る」
・「横浜トリエンナーレ2008」。数カ所に分散した会場にて、世界の超一流クリエーターが、光や映像の効果もがんがんに使った展示物を並べている。倉庫や埠頭や公園など、巨大作品のショウイングに向いた空間を多く有している街、横浜ならではのとても贅沢な現代アートイベント。今回は15禁のゾーンも増えていて、おそるおそる入るとなるほど相当に血なまぐさい展示が。時代を映しているのだろう。
・今回は「BankArt LifeⅡ」と題して、公共施設や歴史的建造物、あるいは飲食店や商店や空き地と連携し、アート作品を街に進攻させていくという試みを行っている。こういう志は今後の都市計画においてとても重要である。
・さて個人的には、新宿のライブハウス以来30年ぶりに「灰野敬二」を見て激しい衝撃を受けた。70年代のアンダーグラウンドシーンに君臨していたノイズミュージシャン(ただしノイズなんていう言葉も当時はまだなかった)。変わってない。その顔も、髪型も、ファッションも。そして血を噴出するようなギターサウンドも、声も、ちっともへこたれてないし、うまくもなっていない。一体ぜんたい、どういうことなんだ。
10月18日「歴史ではなく今」
・『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』マーティン・スコセッシ監督が撮った、ストーンズの、「歴史」ではなく「ライブ」の映画。これほどリアルにストーンズを捉えた映像は他にないかもしれない。
・「今」の、60代になったストーンズが、彼ら一人一人のしわくちゃの頬も、濁った目玉も、頭の地肌も、はっきり、くっきりと映し出される。それが隅から隅までホッントーに、かっこいいのだ。
・これ、最初は、ブラジルの海岸で行われる史上最大級のコンサートを、3DかIMAXで記録しよう、という企画だったらしい。スコセッシはプロジェクトを進めているうちに気が変わり、あえて小さなホールでのコンサートを撮ることにしたという。ストーンズとは「記録映像」ではなく「ライブビデオ」を作りたかったわけだ。
・そのライブは撮影ありきで企画されたものだから、ならば客も全て仕込んで、何度も同じ極を繰り返しつつ計算しつくした映像を作っていく、つまりミュージックビデオの作り方も、あったはずだ。しかしスコセッシはあくまでも本物の興奮に、ナマならではの緊張感にこだわった。本番の30分前まで曲順が決まらない中で一発撮りに踏み切った、その苦闘のプロセスも、記録されている。
・キースがギターを持たずに一人ヴォーカルをとる曲もある。泣ける。
10月19日「おいしいもの食べてますか」
・このところの報道を見ていろいろ考えいろいろ自戒。僕らはこの数十年、知的所有権の価値を吟味することにあまりに一生懸命で、例えば食べ物とか道具の価値を吟味する能力を放棄してしまってはいなかったか。
・そもそも、デジタルコピーできるものの評価はたやすい。なぜなら自分の意見すら、他の誰かの言葉をコピペすればいいからである。ネット界にプチ評論家が溢れているゆえんである。しかしコピーできないものについての評価は難しい。他人の意見を参考にできないからだ。その場でその口で食べて、その手で触って自分で判断しなくてはならない。
・例えばファーストフードやコンビニで買った食べ物について、味のわずかな違いにこだわる人はほとんどいない。多少まずいことがわかったとしても、安ければそっちの方を求めてしまう。
・そこが中国みたいな国にとっては本当に有り難いお得意さんなわけだ。例えば同じように見える餃子。おいしい方が1000円。おいしくないけれどもまぁ食べられる方が100円。迷わずに前者を選べるかどうか。