更新日:2022年08月19日 10:12
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井伊直虎って女性なのか!? 来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典

桶狭間で直盛が死んだけど、直政が生まれた

井伊直虎

龍潭寺へ奉納された井伊直虎座像

 南渓和尚が付けた「次郎法師」の「次郎」という俗名は、井伊家当主が使う通称である。  つまり、「次郎法師」とは女性(尼)の名ではなく、男(僧)の名であった。この「次郎法師」と名乗っていた時期を「男として生きる準備期間であった」と位置づけている方もおられる。  亀之丞(9歳)が信州に亡命して10年後の弘治元年(1555)2月、ハタチになった亀之丞が井伊谷に帰ってきた。  ここで「次郎法師」という名が活きる。尼であれば還俗できないが、僧であれば還俗して結婚できるのである。 ――次郎法師は、還俗し、亀之丞と結婚して、幸せに暮らした。  と書きたいのであるが、現実はさにあらず。彼女は、還俗をしなかった。むろん結婚もしていない。なぜか。  理由として考えられるのは、彼女の結婚適齢期を超えていたからということもあろうが、亀之丞がすでに信州で子(高瀬姫・後の彦根藩家老の川手氏の妻など)をもうけていたことにショックを受けたのであろう。 「立場が上である嫡流の彼女は愛を貫いたのに、傍流の男に裏切られた」  つまり宗家が舐められたとしてプライドを傷つけられ、還俗も結婚もしなかったのではなかろうか?と私は思う。  結局、亀之丞は直盛の養子となり、元服して直親(なおちか)を名乗った。そして、奥山氏(井伊家の庶子家)の娘・しの(奥山家文書によると実名は「おひよ」・貫地谷しほりさん)と結婚したのである。  直虎にとっては不運な運命としか言いようないが、井伊家にとっては、ひとまず跡取りが現れ、安泰。と、そんなところで歴史を揺るがす大事件が起きる。  桶狭間の戦いである。  永禄3年(1560)5月19日、直虎の父・直盛が「桶狭間の戦い」で殉死すると、母・千賀は出家して「祐椿尼」(ゆうちんに)と称し、直親が23代宗主となった。そして、翌永禄4年(1561)2月9日、新しく虎の目を持つ男の子が生まれた。  名は直盛と同じ「虎松」。後の徳川四天王・井伊直政である。歴史を知る我々からすれば、なるほどこれで井伊家の家運は上昇したのであろうか、と考えがちかもしれないが、そうは簡単には進まない。  翌永禄5年(1562)、今度は井伊直親(三浦春馬さん)が「徳川家康に内通している」として、今川忠臣の朝比奈泰朝に誅殺されてしまったのだ。 ――そして井伊家には成人男性がいなくなった。
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井伊谷では「静の直虎・動の直政」と対比される
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