更新日:2022年08月19日 10:12
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井伊直虎って女性なのか!? 来年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」先取り人物事典

時には男として生き、生涯未婚 早すぎる死を……

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井伊直虎

「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑

 万千代の仕官後、祐圓尼は、愛した人の子の出世を祈り続けた。  彼女の祈りは届いたのであろう。天正10年(1582)6月2日の本能寺の変に続く「神君伊賀越え」では、万千代も功績をあげ、家康から「孔雀の陣羽織」を賜るなど順調に出世していった。それに安心したのか、同天正10年(1582)8月26日、祐圓尼は、龍潭寺の松岳院で南渓和尚に看取られながら、静かに息を引き取った。病魔に侵され早すぎる最期ではあったが、死に顔は穏やかであったという。  井伊家を虎松(万千代→井伊直政)に引き継いだ女性は、時には男として生き、生涯未婚であった。享年は不明だが、母・祐椿尼の死から4年後であることから早逝であることは明らかであり、当時の平均寿命50歳には程遠かったとと考えられている。  位牌と墓は、彼女の戒名「妙雲院殿月舩祐圓大姉」にちなんで「妙雲寺」と改名された菩提寺の自耕庵にある。  平成19年(2007)、彦根城築城四百年記念祭に合わせて、龍潭寺の境内に「徳川四天王 井伊直政公出世之地」碑が建てられた。まるで、龍潭寺での祐圓尼の祈りのおかげで、直政が出世できたと言わんばかりのその佇まい。  徳川家康は、約17年間、遠江国(浜松)で過ごし、その間、遠州(遠江国のこと)の多くの武将が家康の軍門に下ったが、「徳川二十八神将」に選ばれた遠州人は、井伊直政、只一人である。  直政の出世はさほどに異例であり、神がかっていたとしか言いようが無く、彼自身の努力の賜物であることは間違いないが、「井伊」という名門の血、人を魅了する虎の目、そして、祐圓尼の祈りが、出世に無関係だったとは言い切れない。 <著者/戦国未来> 戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派で、全27回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載中。自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」 <コンテンツ提供/BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)> BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) 日本で初めて歴史をテーマにしたポータルニュースサイト。今回の記事の他、以下のような記事を掲載。 ●『真田丸』感想レビュー第50回(最終回)「◯◯」 そして船は次へ向かって港を発つ ●『直虎紀行 壱の巻~井伊家発祥の井戸、そして志津城へ』 2017年大河ドラマ主人公・井伊直虎ゆかりの地を歩く
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