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「日本はもっと賢く強くあってほしい」台湾の元外交官による問題提起とは?【評論家・江崎道朗】

東條政権、四つの判断ミス

 それでは、東條政権の対米政策のどこが問題であったのか。  張氏は、あくまで一個人としてながら、東條政権の対米政策について、次の4点の判断ミスを指摘している(以下、張氏の論文を要約した。文責は筆者にある)。  第一に、ルーズヴェルト政権は1941年11月、ハル・ノートを突きつけた。内容は、日本の軍隊が中国大陸の華北、華中、華南から満洲事変以前の一線まで撤退しないと、石油とくず鉄を日本に売らないと脅したものであった。東條総理は、このハル・ノートによって日清・日露戦争で得た戦果をことごとく失うと判断したが、これは誤りであった。ハル・ノートには、台湾、朝鮮半島、千島列島、北方領土からの撤兵などは書いていない。  第二に、このハル・ノートでは日本に対して、「華北などから撤兵しないと、アメリカは石油やくず鉄を売らない」と恫喝している。東條政権は、アメリカから石油やくず鉄を輸入できなくなると、日本の生存と発展に影響すると考えた。しかし、日本の倉庫の中には、大量の石油とくず鉄があり、それを使って中国を攻めれば、中国は潰れていた。中国が潰れれば戦争は終わりであった。なぜ東條政権は、アメリカを攻める必要があったのか。  第三に、アメリカの国民性を東條政権は理解していなかった。アメリカは坊ちゃんの国だ。他国、つまり中国を助けるために自分の夫や子供、父親を戦地に送るような人はいなかった。大統領が対日戦争をしたくとも、議会が許可しない。議会が許可したとしても、アメリカ世論が許さなかった。言い換えれば、東條政権がハル・ノートを受諾しなくとも、アメリカを攻める必要はなかった。日本がアメリカを攻撃しない限り、アメリカは対日攻撃に踏み切れなかった。東條政権は、アメリカの国民性をよく理解していなかったのだ。  第四に、東條政権は、アメリカの国力を知らなかった。アメリカの国土は広大で、土地が広すぎるので、十分に利用できなかった。十分に利用すると、農産物の生産が過剰となり、価格が下落して農民の生活が悪くなるからだ。一方、日本は反対で、土地が狭く、外国へ移住せざるを得なかった。こうした潜在的な国力の差を踏まえれば、日米戦争は日本にとって不利であることは明らかだ。  よって日本政府としては、ハル・ノートを受諾するふりをしながら中国国民党の蒋介石政権と交渉を進め、中国の華北などから少しずつ軍隊を引き揚げ、アジアの大国としての地位を守りながら、日米戦争を避ける道があったのではないかと、張氏は外交官としての経験を踏まえながら指摘しているのだ。
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ソ連の戦争泥棒
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