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ボッタクリ風俗で遭遇した、「天変地異」――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第42話>

 昭和は過ぎ、平成も終わり、時代はもう令和。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート! patoの「おっさんは二度死ぬ」【第42話】注文の多い風俗店  血気盛んな20代の頃に、ボッタクリ風俗に遭ったことがある。  この連載の読者の方によもやボッタクリ風俗の被害に遭ったことがないなんて人はいないと思うが念のため説明させてもらう。  ボッタクリ風俗とは、いわゆるボッタくる風俗である。身も蓋もない言い方だがそれしかない。ただ、そのボッタクリ方にも多種多様な手法が存在し、ちょっとした分類があり、大きく分けて3つの手法が存在する。  まず、法外な料金を請求するというボッタクリだ。1万円でいいとか言われたのに、いざ金を払う段になると何万、何十万と請求されるものだ。これはまあ、古来より続くストロングスタイルなボッタクリといえる。  次に、まったくサービスがないという種類のボッタクリが存在する。あれやこれやムフフなことがありますよ、と誘引しておいて、色々と理由をつけて何もなし、というパターンがある。めちゃくちゃやる気がない女性や、意思疎通する気皆無の女性が出てきたりする。  最後に、人智を超えた怪物が来る、というものだ。何をどうやったらこういうことが起こるんだろうか、CG? という女性がでてきて、さすがにこれはと断らざるを得ない状況に持っていき、キャンセル料をせしめたりする。  多くの場合は、これらが複合され、人智を超えた怪物だわ、サービスはないわ、法外な料金だわと、全くいいところのない、踏んだり蹴ったりの状態に叩き込まれる。この世に顕在した修羅道、それがボッタクリ風俗だ。  ただ、誤解を恐れずに言わせてもらうと、僕はこういった用意周到に準備された犯罪行為はある種の芸術だと思っている。もちろん推奨するものではないし、称賛するわけでもない。この世から消し去って欲しいとすら思っているが、そのボッタくろうという過程には美しさすら感じてしまうのだ。  いかにして誘引するか、いかにして騙すか、いかにして金を出させるか、いかにして犯罪成立要件を避けるか、いかにして客を泣き寝入りさせるか、そしていかにして嵌めるか、それらがとにかく信じられないくらい高レベルで考えこまれ作りこまれているのだ。  そういった考えこまれた犯罪に遭遇すると、騙された―、くやしいー、という感情より先行して、お見事! みたいな感情が湧き上がってしまう。もちろん、決して褒められたものではないけど。お見事! とついつい唸ってしまう。もはや芸術だ。  ただ、僕が20代の頃に出遭ったボッタクリ風俗はその「用意周到に考えられた芸術」に当て嵌まらないものだった。単純に言ってしまうと、お前ら本当にちゃんと考えたのかよ、と言いたくなるものだった。
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階段のない5階建てのビルの頂上で、その女は待っていた
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pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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