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あの世を信じる人が50年前より倍増している【意外と知らない“終活”のトリビア】

意外と知らない“終活”のトリビア20連発【後編】 婚活、妊活とブームがきて、今や生きている間に死に支度することを表す「終活」という言葉が30~40代にも広がっている。親や親族の死に際して苦労して、「自分が死んでも迷惑をかけたくない……」と考える人が年々増えている。その背景には煩雑な遺産の処理や葬儀など死んでから出ていくカネの算段などもあり、残された家族を思う気持ちが就活ブームを引き起こしていると言われている。  だが、30代で死ぬことを考えてどうすんじゃい!という意見も至極まっとう。ならば、「とりあえず終活関連のトリビアにでも触れて楽しむくらいでいいんじゃないでしょうか」と提案するのは、終活に詳しい記者の古田雄介氏だ。古田氏によれば「どんな世界でもいきなり本気で取り組むのは大変ですが、ちょっとずつ親しんで抵抗感をなくしていけば、自然と腰が軽くなって、いざというときにすんなり動けるようになりますから」という。  そこで、今回は終活や死生に関わるトリビアを古田氏に伺った。番組が終わって久しくなるが、読者の皆さんはへぇ~を連発しながら読んで頂きたい。 ⇒意外と知らない“終活”のトリビア20連発【前編】「その1~8」
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◆その9……「闘病」という言葉が登場してからまだ100年も経っていない 「闘病記を研究している門林道子氏によると、医者で自らも結核を患っていた小酒井不木が1921年に発表した論文『闘病術』が初出です。論文の数年後、内容を大幅に修正して同名の書籍を出したところ空前のヒットを記録しましたが、以後しばらくは死語化していたようですね」(古田氏、以下同)  なお、闘病記という言葉が流通するようになったは1960年代以降と言われている。 ◆その10……ピンピンコロリをPPKと訳したのは本人  老後も元気に過ごして、最後はコロッと死ぬ。そんな人生を表す「ピンピンコロリ」という言葉は、「PPK」という略語も含めて、お年寄りにはおなじみとなっている。  ピンピンコロリが誕生したのは、1983年。長野県伊那郡高森町の社会教育主事である北沢豊治氏が考案した健康長寿体操に関する論文「ピンピンコロリ(PPK)運動について」が始まりだ。 「直感的な言葉なのに、なぜあえてPPKなどとわかりにくく表現することがあるんだろうと気になって調べたら、原因は生みの親でした」 ◆その11……あの世を信じる人の割合は1958年より2013年のほうがダブルスコアで多い 「個人的に意外だったのが、『日本人の国民性調査』で示された『あの世を信じる人の割合』の結果です」  日本人の国民性調査(http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/)とは、統計数理研究所が1953年から5年ごとに実施している意識調査で、家族や職場などでの立ち振る舞いや尊重する価値観などを調べるのを目的としている。古田氏が注目したのは、「あの世を信じるか」という項目だ。 「1958年は信じる人が全体の20%でしたが、2008年は38%、2013年は40%と上がっているんです。途中の年度の結果が見えないので推移は謎ですが、何となく抱いていた予想と逆だったので驚きました」 ◆その12……献体の登録者数は解剖数を上回るペースで増えている  医学の発展のため、死後に自分の身体を提供する献体の登録者数は増加傾向にある。 「2014年1月の新聞記事によると、全国の大学で行われる解剖数は年間3500人程度で、登録者数は年間約5000人のペース。1年で1500人ずつ増えている状況のようです」  日本篤志献体協会によると、2013年3月時点で全国の献体登録者数は約26万人に上り、うち11万人の献体がすでに行われているという。献体待ちはおよそ15万人になる計算だ。今後もその数は増えていきそう。 ◆その13……エンディングノートの元祖は1991年「セキセー3部作」  いまや終活の必須アイテムとなっているエンディングノートだが、登場したのは平成の世になってからだ。一番最初は1991年。「葬儀の返礼品などを扱う会社であるセキセーが、取引先などに販売した“セキセー3部作”と言われる3種類のノートが元祖だと言われています」。  その5年後には、井上治代氏の『遺言ノート』が一般流通して話題を集めた。「当時は『エンディングノート』という表現だと受け入れられないと判断して、この名前にしたそうです」。 ◆その14……寝たきりになる原因で、「骨折・転倒」は4位  2013年に厚生労働省が発表した「国民生活基礎調査」によると、寝たきりになる直接的な原因のうち、「骨折・転倒」は全体の7.3%で4番目という。上位は、3位が「高齢による衰弱」で12.6%。2位が「認知症」で14.5%。1位が「脳卒中」で35.7%だ。「骨折・転倒の割合が意外と低くてずっと記憶に残っています」  では、ここからは海外にも目を向けてみよう。 ◆その15……イタリアにはお墓専用の島がある  ヴェネツィアにあるサン・ミケーレ島は、1860年にナポレオンの指示によって墓地専用の島になった。同時に、周辺の島々には埋葬しないルールも作られている。「墓地付近の井戸からペスト感染が広がるのを懸念してとられた策だと言われています」。 ◆その16……スウェーデンで土葬でも火葬でもない遺体処理方法が開発された  欧米では、遺体を液体窒素で瞬間冷却してそのまま粉末にする『プロメッション』という手法が注目を集めているという。プロメッションは、スウェーデンの研究者が1997年に開発した処理方法。火葬のように二酸化炭素を大量に排出せず、土葬のように場所をとらないという利点がある。 ◆その17……アメリカには、ハーレーとともに埋葬する自由もある  古田氏曰く、アメリカは「実験的で奇抜な葬送スタイルが頻繁に登場する国」だという。遺灰を詰めたカプセルを搭載したロケットを飛ばす「宇宙葬」を実施しているのも、「死んでも家族を守る」という惹句をつけて遺灰を銃弾にこめるサービス(http://myholysmoke.com/Our_Services.html)を始めたのもこの国だ。  また、個人でも、2014年に「ハーレーダビッドソンに跨がったまま埋葬されたい」という遺言どおりに埋葬された例が報じられたりもしている。まさに自由の国だ。 ◆その18……メキシコには遺児と家族写真を残す風習がある  メキシコでは、100年以上前から、早世した乳幼児に綺麗な服を着せて、埋葬前に家族と一緒に写真を撮る風習がある。「穢れのない子供は天国に昇って天使になるという信仰が土台にあると言われています」 ◆その19……韓国の病院は、地下に葬祭場がある  1990年代から、韓国では葬祭場つきの病院が増えているそうだ。「都市化が進んで、自宅で夜通しの葬儀が難しくなった背景から、亡くなったらすぐに葬儀ができるような場所を確保した病院が増えているようです。葬祭場は地下にあったり、敷地の別の棟にあったりします」 ◆その20……チベットにはしばらく故人を思い出さないようにする風習がある  チベットの葬送といえば、鳥葬が有名だが、鳥葬に伴う風習も特徴的だ。死後しばらくは魂が止まっていると考えられており、その間は故人のことを口に出してはいけないとされている。「写真や遺品も残さないという場合もあるようです。追悼を我慢するというスタイルは世界的にみても珍しいと思いますね」  死についてはまだまだタブー視する向きがあるが、やはり備えあれば憂いなしだ。終活とまではいかなくとも、死んだらどうなるのかを考えておくのは悪くはないだろう。 取材・文/長谷川大祐(本誌) 古田雄介
日刊SPA!編集。SPA!本誌では谷繁元信氏が中日ドラゴンズ監督時代に連載した『俺の職場に天才はいらない』、サッカー小野伸二氏の連載『小野伸二40歳「好きなことで生きてきた~信念のつくり方~』、大谷翔平選手初の書籍となった『大谷翔平二刀流 その軌跡と挑戦』など数多くのスポーツ選手の取材や記事を担当。他にもグルメ、公営競技の記事を取材、担当している
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