更新日:2022年08月28日 09:05
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「北朝鮮は日本のことが好きなんじゃないか…」永田町の怪僧・池口恵観を直撃

――先生は基本的には話し合いや人と人との関わりを大切にされてるんですね。ところで、日刊SPA!のメイン読者層である20~30代の若者には宗教はあまり馴染みのないものだったりすると思うのですが、その年代は宗教をどのように考えればいいのでしょうか。 池口:日本人は昔から、800万の神々を信仰してきたと言われています。昨今の冠婚葬祭はさまざまな宗教のバックグラウンドとして行われていますし、クリスマスとかハロウィンとかバレンタインデーとか、欧米の宗教的背景を持った行事も、日本社会に根を張りつつあります。800万の神々を混淆して生活の中に取り入れると言うのは、極東の小さな島国・日本が長い歴史の中で自立持参を保つ生活の知恵であったといえるでしょう。  つまり、日本では歴史的に、海外から文物や技術を取り入れ、それを日本的にアレンジして、国家・国民の幸せに結びつけていくことを、上手に展開してきたのです。明治以降の文明開化も、戦後の高度経済成長も、そうした伝統的な製造構造から成し遂げられたとみることもできます。  そういう意味では、若い人たちも欧米の先進的なものだけにこだわるのではなく、日本の伝統や文化や技能の根っこになっている仏教や神道、儒教、道教といったものに、常に目を配っておくことが大事だと思います。特に昨今は、国際情勢が流動化し、近未来が明確に展望できない時代になってきていますから、そういう時代状況に迷ったり、焦ったりしないためにも、日本という国の本来のお国柄や、日本人本来の美徳といったものに、折を見ては接したり、親しむ事は大事だと思います。  昨今の若者たちは、就職氷河期はひとまず終わりましたが、将来に大きな希望を持つことができない時代を生きていると言われます。そういう時代だからこそ、私は若者に、800万の神仏と触れ合ってほしいと思います。そこから日本人本来の生き方も見えてくるはずです。

「800万の神々を混淆して生活の中に取り入れると言うのは、極東の小さな島国・日本が長い歴史の中で自立持参を保つ生活の知恵であったといえるでしょう」

――では、先生が大阿闍梨として若者に伝えたい事はなんですか? 池口:入社式のシーズンが終わったばかりですが、新たに就職活動にはいられた方々もおられるでしょう。最近よく言われることは、就活をする若者の目指す方向がみんな同じ、ステレオタイプになっているのではないかということです。  一流大学に入り、一流企業に就職する。多くの若者が望むことです。これは日本だけではなく、韓国などは日本よりはるかに凄まじい状況があるようです。しかし、この視点だけで人生にチャレンジしても、多くの人は満足した結果は得られないのです。仮に一流大学を出て、一流企業へ入ったとしても、その人の人生が幸せだったかどうか、棺を覆うまでわからないというのがこの人の世の実態です。  「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉もあります。「鶏の口となっても、牛の尻となってはならない」という意味ですが、要するに「小さな組織のトップになっても、大きな組織の下積みに甘んじてはならない」という警鐘です。  仏教の教えには「平等」と「差別(しゃべつ)」があります。「平等」とは、すべての命は仏様から生み出されたものであり、内なる仏様を持っており、皆、平等であるということです。「差別」とは、すべて平等の命ではあるが、一つ一つの命はそれぞれが明らかに異なる、同じものが1つとしてない命であるということです。私たちは、命の「平等」と「差別」の意味をよく噛み締め、他の命の尊厳を大切にしつつ、我が命を最大限に活かして生きねばならないのです。 ――大阿闍梨ともなると、一般人にうかがい知れない大物ならではの苦悩に触れたりするものだと思いますが、どのような傾向があるのでしょうか? 池口:私のもとには、世の中のリーダー的立場の方々がおいでになります。リーダーの方々も日々、全身全霊で生きておられますが、そこはやはり1人の人間として、健康問題、組織の問題、交友関係等々で悩みを抱かれることもあって、密かに相談に来られるのです。  すべての人は体の中に「内なる仏様」を持っています。真言密教では「すべての命は大宇宙生命体である大日如来から生み出される」と説いていますから、すべての命はそのまま仏様になれるとまで説いているのです。  ただ、四苦八苦の現世を生きている人間は、苦しい日常を生きていくのに精一杯で、内なる仏性はなかなか表に出せないのが現実です。それは人の上に立つリーダーでも同じです。しかしなかには、内なる仏様の光を表に輝かせて、衆望を担う人もおられます。ここでいう仏様の光と言うのは、西洋で言うところのオーラです。  どういう人が内なる仏様の光を発することができるのかといえば、世のため人のために全身全霊で生きている人です。そういう人が上に立てば、下の人たちもその光に感応して、世のため人のために生きようとしますから、その組織全体が仏様の光に包まれて、周辺の人々にも良い影響を与えるのです。  各界のリーダーが苦悩されるのも、ご自身では一生懸命努力されているつもりでも、そこに仏様の光が感じられないと、人々が集まってこないため、結局、自分の殻に閉じこもってしまいがちになるからです。  世のため人のために生きるという事は、言葉で言うのは簡単ですが、それは実社会で実践することは決して容易ではありません。普段から仏様の光に接するような生活を実践しながら、何のてらいもなく世のため人のためを実践できるようになることが大事だと思います。 ――先生ご自身の苦悩はないのでしょうか? 池口:私だけの苦悩と言うものはないです。みなさんと同じですよ。「愛別離苦」、やはり別れがつらいですね。私は先日妻を亡くしましたが、亡くなってしまうと永遠に会うことができない。別れにあってみて初めて愛別離苦の切なさを知りました。どんな行をいくらやって、悟ったと思っても耐えられるものではありません。 ――最後に読者に一言お願いいたします。 池口:修行に終わりはありません。自分で限界を作らないで努力をしてください。自分の職場に対してここしかないと思って頑張ってほしいです。行者は行場が死に場所です。ここが自分の死に場所だと思ってまっとうしてください。そうすれば必ず道が開けます。オーラは見るより感じるものです。ある人は存在感が強くなります。自分に与えられたことに対してフル回転していればオーラが出てくるものです。 〈取材・文・撮影/庄司ライカ〉
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