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NHKでパンクとメタルがトークバトル! 対立を経て進化したジャパニーズメタル

パンクとメタルの因縁の歴史

 パンクとメタルが対立する理由は、英国での歴史に求められる。1960年代に生まれたロックは「反逆の音楽」であり、労働者階級の若者に支持されていた。しかしロックは次第に商業的規模が拡大していき、やがてメインストリームの音楽となっていった。その上、コンサートのチケット代が高かったり、ロック・スターがセレブな生活をしていたことから、70年代英国の経済不況の只中に生きる労働者階級の若者にとって、ロックは身近なものではなくなりつつあった。  また、ロックが進化・深化する過程で、難解な音楽理論やテクニック至上主義によるプログレッシヴロックと呼ばれるサブジャンルが生まれ、これは裕福でインテリな大学生らに楽しまれていた。  そこで、その反動として、商業性とは縁遠く、音楽理論も演奏技術も必要のない音楽のUKパンクが登場した。フラストレーションが溜まっていた若者らは、SEX PISTOLSやCLASHに夢中になった。  パンクはこのような背景から、世の中の不条理さを歌詞にしたり、社会を風刺したりなど、政治的思想に重きが置かれる音楽ジャンルとなった。ちなみにパンクは英国発祥ではない。1970年代半ばにニューヨークで生まれ、ロンドンに渡ってきたものである。  パンクが盛り上がり始めた70年代後半、それまで主流だったハードロックは「オールド・ウェイヴ」と呼ばれ、勢いを失った。  だが、パンクの攻撃的な部分に対しては共感できたことから、多くの地下シーンで活動する若手のバンドが、パンクの要素を取り入れた新たなハードロックを模索する機運が起こった。  それは1979年に噴出し、オールド・ウェイヴとみなされたハードロックとは一線を画す新たなムーヴメントとして、「NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)」と称されることとなった。このムーヴメントからIRON MAIDENやDEF LEPPARD、SAXONなどがメジャー・デビューし、「ヘヴィメタル」という新たな音楽ジャンルの活性化につながっていった。

パンクの攻撃性とハードロックの構築美、メタリックなサウンドが融合したIRON MAIDENの1stアルバム『IRON MAIDEN』(邦題:『鋼鉄の処女』1980年)

 NWOBHMのムーヴメントは、その後に発生したL.A.メタルやスラッシュメタルのそれと比べると、商業的な規模および実績は小さい。だが一般的に、HR/HM(ハードロック/へヴィメタル)史上においては最も重要なものとされている。その理由は、NWOBHMとは、ヘヴィメタルという音楽ジャンルの起点であり、他のロックとは別枠のポジションを獲得するにあたっての起点でもあったからである。
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アナーキー、スターリン、じゃがたら…過激な日本のパンク
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ジャパメタの逆襲

LOUDNESS、X JAPAN、BABYMETAL、アニメソング……今や世界が熱狂するジャパニーズメタル! !  だが、実はジャパニーズメタルは、長らく洋楽よりも「劣る」ものと見られていた。 本書は、メディアでは語られてこなかった暗黒の時代を振り返る、初のジャパメタ文化論である。★ジャパメタのレジェンド=影山ヒロノブ氏(アニソンシンガー)の特別インタビューを掲載!

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