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映画『エイリアン』のデザイナーがジャケを手掛けた邦楽アーティストと「オタクメタル」の共通点

<文/山野車輪 連載第16回>

90年代、デスメタルが日本で静かなブームに


 筆者はジャパメタだけでなく、洋楽へヴィメタルも聴き続けてきた。それは高校生の頃、クラスの友人から誕生日プレゼントとして、お好みのへヴィメタル・テープをもらったところから始まる。そのテープにはMETALLICA、SLAYERらスラッシュメタル四天王や、英国へヴィメタル・バンドVENOM、さらにはイタリアのメタルバンドで当時、裏ジャケットで女性器が見えていることが話題になったBULLDOZERなどが収録されていた。

裏ジャケットで女性器が見えていることが話題になったBULLDOZERの『THE DAY OF WRATH 』(1985年)

 これらのバンドからお分かりのように、筆者にとっての洋楽へヴィメタルの入り口は正統派ではなく、スラッシュメタルや後のブラックメタルのルーツとなるバンドだった。ようやくJudas PriestやHELLOWEENなどを聴くようになった頃、ジャーマン・メタル第2世代(BLIND GUARDIANやHEAVENS GATEなど)の勃興が起こっており、数年後に北欧からも、様式美へヴィメタルのバンドが次々と登場し(StratovariusやROYAL HUNT、Conception、NATIONなど)、筆者はそれぞれのムーヴメントにドップリと浸かることとなる。

 ドイツや北欧から出てきたメロディを重視したスピーディなメタルは、後にメロディックスピードメタル(“メロスピ”)というサブジャンルとして統合され、現在も一つの大きな流れとなっている。

 90年代半ば頃はジャパメタの冬の時代で、一方、洋楽シーンではデスメタルそしてブラックメタルが勃興していた。筆者はそちらへ興味が移り、より過激な音楽にハマり、英国のCRADLE OF FILTHをはじめとするシンフォニックブラックメタルとその周辺を聴き漁った。フランス出身のバンドANOREXIA NERVOSAの4thアルバム『REDEMPTION PROCESS』(2004年)あたりでお腹いっぱいになり、以降はジャパメタに重点を置くようになった。

 当時はインターネットが熱かった時代だ。インターネットによって、続々と新事実が分かったり、入手困難な音源を買うことができるなどの環境が生まれた。新たな音楽の開拓、遠くへ向かっていくことよりも、身近なことで、知らなったことや手に入らなかったものを埋めていく作業が楽しかった。筆者にとってはそれが、ジャパメタだったり、日本の歴史や社会の問題だった。またそれと同時に、海外へヴィメタルの来歴についても学びなおす契機にもなった。

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「オタクメタル」のフォーマットを作った海外へヴィメタル3つの潮流

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