更新日:2018年05月11日 16:44
エンタメ

NHKでパンクとメタルがトークバトル! 対立を経て進化したジャパニーズメタル

アナーキー、スターリン、じゃがたら…過激な日本のパンク

 さて、その頃日本では、フォークソングやロック・ミュージックが反体制、反商業主義の音楽とされていた。フォークソングは、1960年代後半ごろから、「安保闘争」などの学生運動と地続きで盛り上がった。だが、学生や新左翼らは「革命闘争」に敗北する。そこで今度は、闘争に疲れて日常生活に回帰していく若者らの心情を唄った「四畳半フォーク」が盛り上がった。  ロックの方では、頭脳警察が反体制バンドとして有名だ。彼らの1stアルバム『頭脳警察』(1972年)に収録されている「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の詩」「銃をとれ」の3曲は「革命三部作」と呼ばれている。  またパンクロック・バンドのアナーキーは、『アナーキー』(1980年)収録の「東京・イズ・バーニング」で、「なーにが日本の象徴だ」「なんにもしねーでふざけんな」という歌詞で、天皇制を罵倒した。実際のところ、天皇陛下はご公務を忙しくこなされているわけだが、政治に疎いアホなバンドマンには知る由もなかったのだろう。  当然、右翼団体が黙っているはずがなかった。レコード会社のビクターは右翼系の政治団体から抗議を受け、結局、回収という措置を取るに至った。アルバムは後に「東京・イズ・バーニング」を削除して再販されている。

天皇制を罵倒した「東京・イズ・バーニング」が収録されていたアナーキーのファーストアルバム『アナーキー』(1980年)

 反体制、反日左翼的なハードコア・パンクのあり方は、かつての新左翼と同じような道程をたどった。新左翼各党派は、闘争に敗北した後、さらに先鋭化を強めていき、さまざまな暴力事件やテロ・殺人などを犯していったわけだが、ハードコア・パンクも彼らと同じように先鋭化していき、ステージ上で過激なパフォーマンスを行う方向に舵を切る。そしてそれは犯罪行為にまで突き進んでいった。  例えば、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの名からとったザ・スターリンは、ステージ上で汚物をぶちまけ、女性客にフェ◯チオさせるなどの、過激なパフォーマンスを行なった。文化祭で全裸になり逮捕もされている。  じゃがたらという名のバンドのヴォーカル兼リーダーの江戸アケミ(1953-1990年)は、自らを傷つけ血を流したり、自分の肛門に浣腸をして糞を垂れ流すなど、ステージ上で変態としか言いようのない行為を見せつけた。  ハナタラシは、ライブハウスを破壊して閉店に追い込んだり、ガソリンを床にぶちまけ、火炎瓶を投擲しようとする(未遂)などの無茶なステージ・パフォーマンスで話題となった。  一方で、ハードコア・パンクの中には、音楽的に進化・深化していくバンドも存在した。その一つであるGUSTUNKは、へヴィメタルに傾倒していった。楽曲を練り込んだり演奏技術を向上させるなどの音楽的な進化・深化を追求していけば、精神性はともかく、音楽ジャンルとしては必然的にハードコア・パンクから離れていくということなのかもしれない。  反体制としてのロックは、ハードコア・パンクとして暴走していったが、真面目なロック・バンドは、音楽としての発展を進めていき、多様化していった。新たな音楽ジャンルのHR/HMが生まれ、さらにスラッシュメタルやデスメタルへと細分化を進めていった。
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芥川賞作家もパンクバンドを?
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(やまの・しゃりん)漫画家・ジャパメタ評論家。1971年生まれ。『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)シリーズが累計100万部突破。ヘビメタマニアとしても有名。最新刊は『ジャパメタの逆襲』(扶桑社新書)

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ジャパメタの逆襲

LOUDNESS、X JAPAN、BABYMETAL、アニメソング……今や世界が熱狂するジャパニーズメタル! !  だが、実はジャパニーズメタルは、長らく洋楽よりも「劣る」ものと見られていた。 本書は、メディアでは語られてこなかった暗黒の時代を振り返る、初のジャパメタ文化論である。★ジャパメタのレジェンド=影山ヒロノブ氏(アニソンシンガー)の特別インタビューを掲載!

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