雑学

“ラブホ界の帝国ホテル”は渋谷・円山町にあり/文筆家・古谷経衡

独りラブホ考現学/第2回

ルーツはダムに沈んだ村の移住補償金


 東京渋谷の道玄坂を登り切った一帯――東京都渋谷区円山町――が、都下有数のラブホテル街であるというのは、首都圏在住者で無くとも既知の事だと思う。

 この街がラブホテル街になったのは、所謂「岐阜グループ(旧岐阜県大野郡荘川村)」と呼ばれる人々が、ダム建設と村の水没を契機にして、多額の移住補償金を元手に次々と「連れ込み旅館(ラブホ)」を開業したことが切っ掛けであることは、まさにこの円山町を舞台にして行なわれた『東電OL殺人事件』の著者、佐野眞一氏の手によって広く世に知られることになった。

“杉下(杉下茂一※岐阜グループの筆頭)さんが始めた『竜水』という連れ込み旅館を皮切りに、こうして岐阜グループの人々がこの街に次々と旅館、ホテルを建設していった。”(前掲書)

 このように、村の水没によって岐阜県旧荘川村の人々が円山町にラブホ街を形成したのは「昭和三十年代初頭」という。それ以前、円山町は花街として知られたところだった。「現在(大正11-1922年当時)では、料理業者39軒、待合が97軒、芸者屋164軒と云ふ事になり、芸妓の数は360人と云ふ大発展は昔の渋谷村(中略)から考えれば全く想像外であったといっても好い―渋谷町史」(産経新聞、1994年1月30日、漢数字は筆者が算用数字等に置き換え)

 という活況であった。この花街として知られた円山町に現在、往時の面影は一切無く、またかつてこの街が花街であった事実も完全に忘れられ、前述した「岐阜グループ」の人々の努力によって円山町は戦後、一大ラブホ街へと、羽ばたく蝶のごとく華麗に生まれ変わったのだ。

 以降、時計の針を現代に引き戻せば、最盛期150軒ほどあったラブホは、バブル期の地上げや再開発を経て現在100軒を大きく下回っていると思われるが、円山町が都下有数のラブホ街であることにはなんら変わりない。そしてこの街は、前回記事のように私にとっては情交の場所では無い。男が独りで眠る街――ビジネスホテルよりも快適なラブホ――それが東京渋谷の円山町なのである。

 この街で私が定宿にしているラブホは何軒もある。その中で最も私が贔屓にしている宿は、道玄坂からすぐ右折した処に居を構える円山町きっての老舗ラブホテル「ル・ペイ・ブラン」である。「ル・ペイ・ブラン」とはフランス語で「白い国」を意味する。如何にも白いタイルで覆われているが、夜間だとその白亜の城塞のごとき壮麗な外観は残念なことにネオンの中に埋没するだろう。円山町のラブホテルにしては珍しく、いや殆ど皆無と言って良い「無料駐車場」が1F部分に完備されているところが、クルマ人間の私にとってなによりも二重丸。

 実を言うと私は、本当のところこの物件を紹介したくない。なぜなら何年もこの宿に通い詰めた私が、突然宿泊できなくなるといったことが起こると困るからである(余計な妄想か)。しかしここは、断腸の思いで「ル・ペイ・ブラン」の魅力をお伝えする。

次のページ 
キラキラ要素は無いけれど…

1
2





おすすめ記事