エンタメ

霜降り明星が明かす「プロの芸人として本気になった瞬間」

月給3万円で本気のスイッチが入った

――今の時代、選択肢はたくさんあると思いますけど、なぜ「お笑い」を選んだのでしょう。 粗品:自分のなかで「選んだ」という意識はあまりないんですよ。オーディションに遊び感覚でよく行ってて、気づいたらプロになってて。ただ、途中で「これでメシ食っていくんや!」と強烈なスイッチは入りましたけどね。 ――それは、どんなタイミングで? 粗品:一つ目は吉本興業から初めてお金をもらった日に「俺がやってることは仕事なんや」と思ったとき。それまでは趣味の延長という感じでしたけど、「仕事」であることを意識しましたね。もう一つは23歳、同級生が社会人1年目のときに自分の給料が月3万円やったとき。「このままじゃ、意味わからんな」と。 ――せいやさんはもともと教師になりたかったそうですね。 せいや:大学のとき、こいつに誘われたんですけど、まだ学生やったんで「仕事」という感じではなかったんですよね。「お笑い活動」というか。いよいよ周りのみんなが就活しだして、自分が一切就職センターとか行ってないと気づいたときに、「こいつと本気でやっていかな死ぬ!」と思いました。 ――恐怖心から腹をくくったと。 せいや:恐怖しかないですよ! だって、今まで隣にいたやつらが全員いきなりスーツ着て違うことしよるわけですから。僕は図書館でネタ書いて、めっちゃ時間あったりするんですよ。それなのに売れてもないし、就職活動もしてないし。売れへんかったらプータロー、人生終わってく。大学行った意味もない。そこらへんからスイッチ入りましたね。 ――漫才師として大活躍ですが、コントで勝負しようと思ったことはありましたか? せいや:コンビ組みたての頃はありましたね。「俺らコントかもな」とか、「リズムネタちゃうか?」とか。漫才やるよりコントのほうがウケがいい時期もあったので、本気で「キングオブコント」だけ目指してた時期もあったくらいで。でも、「やっぱり漫才やな」って、今はもう漫才一筋です。 ――でも、お二人からはいい意味で「必死さ」を感じないというか。もちろん、すごい努力や葛藤をされてるとは思うんですけど、常にフラットなイメージがあります。 せいや:時代といったらあれですけど、ただ単に僕らと昔の芸人さんのモチベーションの種類が違ってるというか。高度経済成長期やバブルの時代の人らと、僕ら景気のドン底の子どもって、単純に環境が違う。「ええ車乗りたい」とか「高い時計欲しい」と言ってるやつも少ないし、それやったら「好きな仕事したい」「YouTuberカッコええなぁ」みたいなほうが勝ってまう。 ――YouTuberといえば、7月に公式チャンネル「しもふりチューブ」がオープンしましたね。テレビで売れっ子になったタイミングなので、少し驚きました。 せいや:何年も目指してたM-1を二人で獲れたんで、ゼロからまた新しい挑戦をしてみたいと思ったんです。二人で死ぬ思いしてM-1を獲ったとき、改めて「お笑いってめっちゃええな」って実感したんですよ。だから、新しいことして、その気持ちをもう一度味わいたいっていう。YouTubeなら新ネタとかモノマネとか自由にバンバンおろせるじゃないですか。テレビやったら時間的な制約もあるけど、僕らのチャンネルなら何でもできる。 粗品:その辺、本当にこだわりはないです。芸とはこうあるべきとか。 ※8/6発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです 【霜降り明星】 せいやと粗品によって’13年にコンビ結成。’18年「M-1グランプリ」で史上最年少優勝を果たす。現在の主なレギュラーは『衝撃のアノ人に会ってみた!』(日本テレビ系)、『霜降りバラエティ』(テレビ朝日系)など 取材・文/中村裕一 撮影/髙橋慶佑
株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Twitter⇒@Yuichitter
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週刊SPA!8/13・20合併号(8/6発売)

表紙の人/ 大原優乃

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