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宣戦布告がないのに、軍事衝突はある。これは紛争か、戦争か/倉山満

宣戦布告を禁止した結果、戦争と紛争の区別がつかなくなった

 そもそも「戦争」とは何か。主権国家間の決闘である。決闘は単なる殺し合いではなく、神聖なる儀式である。だから、守らねばならない掟がある。その掟をいつしか国際法と呼ぶようになった。その中で最も確立された国際法とされてきたのが、「戦時と平時の区別」であり、ある国が別の国に宣戦布告をした瞬間、その国々の関係は「戦争」状態になる。他の国は、どちらかの味方(もう一方の敵でもある)になるか、中立を選ぶかを迫られる。交戦当事国にも中立国にも守らねばならない義務と権利がある。  たとえば、「戦争」においては、交戦当事国は敵を殺しても違法ではないが、どのような殺し方をしても良い訳ではない。軍事合理性とまったく関係がない残虐な戦い方はしてはならないし、ダムや原発のような破壊すれば甚大な被害が出るインフラへの攻撃は禁止されているし、文化財の破壊も厳しく戒められている。被害者だけでなく、加害者にも不利益だからだ。  ところが、あまりにも悲惨だった二つの世界大戦の経験から、「戦争」を違法化し、宣戦布告を禁止してしまった。結果、「戦争」と単なる殺し合い(紛争)の区別がつかなくなった。では、宣戦布告を禁止することによって何が起きたか。平時と戦時のけじめがつかず、味方と敵と中立の区別がいい加減になり、戦闘員と非戦闘員の区別がつきにくくなった。つまり、文明は退化し、殺し合いが悲惨になった。

プーチンの主観では「ロシアは国際法を守って戦っている」

 ここまで聞いて、プーチンが「戦争」を宣言しない理由がわかっただろうか。現代の国際法では、「戦争」は違法化され、宣戦布告が禁止されているからだ。世界のほとんどが納得しないが、プーチンの主観では「ロシアは国際法を守って戦っている」のだ。今次侵攻は自衛行動であり、「特殊作戦行動」としか言わない。戦い方においても、非人道的な戦い方はしていないと言い訳を繰り返している。  もしこれが「戦争」ならば、NATOや日本のやっていることは明らかな中立違反だ。「戦争」においては、どちらの味方もしてはならない。神聖なる儀式に「手出ししてはならない」のだ。一方、事変ならば、何をしてもいい。武器を渡そうが、金や食料や石油を渡そうが、交戦当事国の両方と商売をする「死の商人」も国際法違反ではない。
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実質は参戦国。建前は中立国
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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