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シャープ転落を読み解く鍵は、倒産した第一家電にあり――大川弘一の「俺から目線」

 メルマガ配信サービス「まぐまぐ」創業者の大川弘一。ITビジネス黎明期から会社を運営。子会社の日本最短上場、元役員の訴訟問題など、ビジネスの酸いも甘いも知り尽くした男が、話題の企業を始め、世に氾濫する時事・経済ニュースの“本質”を独自の視点で解析する!

大川弘一の「俺から目線」〈第2回 シャープ/前編〉

 みなさまこんにゃちわ、大川でございます。

 前回のマクドナルドの件、ご覧いただきありがとうごにゃいました。

 世界史をひもとくように現代の企業を見つめるこのコーナー。今回のテーマは、1912年に東京で創業されたシャープという会社です。

 1980年代の大宮で育った私が、同社の歴史を少ーしだけ振り返り、燃え盛る業火に焼かれている名門をしっかりと掘り下げていく所存です。

 その昔、テレビは高級なものでした。

※【動画】なつかしのCM「第一家庭電器」
https://www.youtube.com/watch?v=G-Nl8MsOYvM

 16型カラーテレビが69,800円。

 お茶の間で、ガチャガチャチャンネルをまわしながらドリフを見ていた少年にとって、自分専用の画面が手に入るというのは放蕩を鍋で煮詰めたような理想であり、まだファミコンもない時代、脳髄に直結できる糖分として、永遠のような輝きを放っておりました。

 ところがその後、このCMを流していた第一家電(第一家庭電器)も1992年に赤字転落し、徐々に売上を3分の1まで落としながら、2003年の11月に破産をしています。

 駅前の中小店舗が多かった第一家電は、郊外化の流れに乗り遅れ、1980年代に台頭してきた『ヤマダ電機』『コジマ』『ケーズデンキ』などに根こそぎお客さんを奪われてしまいました。

 そして時は1993年。

 経営難に陥った第一家電は、関東地方の数店舗に限り、激安酒販店への業態の変更を試みます。

 本社からの場当たり的新事業の特命を受けた6名は、関西にあるKLCという酒販チェーン店へと研修に向かい、その当時、奈良県との県境にある柏原市で彼らを待ち受けていたのが、22歳の僕でした。

 実はわたくし、1992年から大規模酒販店の立ち上げに日本全国で参加させて頂いており、大学を中退してなにもすることのなかった私を拾っていただいた木村社長のために、日本全国のイケてない酒屋を繁盛店に作り変えるお仕事をしてました。

 第一家電から派遣された6名が辿り着いたのは、体育館ほどのスペースに緑のコンクリがひいてあるだけの倉庫型店舗。僕らはそこに棚を並べ、800種類の酒を並べ、3日で開店に漕ぎ着けるまでがお仕事です。問屋から直送された4tトラックがひっきりなしに横付けされる戦場で、ビールとウィスキーくらいのジャンルしか知らない6名も、たどたどしく手伝ってくれました。

 そして店づくりが始まって2日目の夜。

 6名の布団が敷かれた大部屋でちょっと缶ビールでも飲みながら懇親会的なものでもしようかということになり、僕ら側の若手数名と6名がなんとなく車座になってあれこれと話が始まりました。その景色はどこから見ても決して華のあるものではなく、カイジたちが地下帝国でペリカビールを飲む様子をご想像いただければ幸いです。

 で、派遣されてきた6名のうち、ちょっと呑んじゃった感じのロマンスグレイさんがなんとなく語り始めました。

「いや、やっぱりあれですね、我々もー、家電ばっかりでやってきましたからー、こういうのはあれですかね、すごく利益少なそうですけど、成長性ってあるんですかね」

 アホかと。

 お前とこ競争に負けてボロボロやのに、いまさら何言うとんねん。人が一生懸命やってること、利益少ないとか成長性とかいう前に、自分の置かれてる状況考えて勉強したほうがええんちゃうんけ。今はかっこつけてる場合ちゃうやろ、きっちり前向かなあかん時ちゃうんけ!

 と、心で諭したつもりだったんですが、大声で言っちゃっておりました。

 首都圏の家電店で安定した需要に守られてきた彼は、忙しく目線を動かしながら謝りも反論もできず、畳敷きの大部屋は気まずい空気で隅々まで固められました。

 いま思うと悪いことした。あんとき枕投げでも提案してやればよかった。と少しだけ思いますが、済んでしまったものは仕方ない。

 その後彼らは関東各地に戻り、『第一リカー』という店舗をそれぞれの場所で開店し、11店舗まで拡げてから、今度はコンビニに負けました。

第一リカー テレビの買い方が駅前から郊外に向かうプロセスで負けた第一家電。

 お酒の買い方が酒販店から量販店に移るプロセスで伸びた僕ら。

 お酒の買い方が量販店からコンビニに移って、縮小した僕ら。

 そしてLG、サムスンのみならず、国内の需要の波に翻弄されて負けたシャープ。創業者の圧倒的な先見性に牽引され、大震災も第二次大戦も乗り越えてきた面影は、今のシャープにはありません。

 なんでだろう。

 そう考えた僕は、シャープ亀山工場のある三重県亀山市に向かうのでありました。〈つづく〉

【大川弘一(おおかわ・こういち)】
1970年、埼玉県生まれ。経営コンサルタント、ポーカープレイヤー。慶応義塾大学商学部中退。大学を中退後、酒販コンサルチェーンKLCに在籍し、95年に独立。97年に株式会社まぐまぐを設立後、無料メルマガと有料メルマガの配信事業を行う。99年に設立した子会社は設立から364日の日本最短記録でナスダックジャパンに上場したが、その際手にした資産も日本最短記録で見失う。

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資金量300万円で、これから投資をしようとする人向けに、大川氏が毎日ウォッチしている株の「どこを見て、どれぐらい調査して、どう判断しているか」独自の情報収集術とその学習方法を会員限定で公開している。
〈イラスト/松原ひろみ〉

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