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GHQ支配下で起こった12人毒殺の冤罪「帝銀事件」はまだ終わっていない【大量殺人事件の系譜】

平沢は39年間も獄窓につながれ、刑務所で獄死

「男の自宅で絵画購入の経緯を聞くと、北海道の余市のリンゴ園の絵柄で、事件前にある画商から15万円で買ったなど、詳細な話が聞けました。男が平沢さんの絵を購入したことは明らかです。平沢さんが持っていた現金は、帝銀で強奪したものと疑われていましたが、それを否定する証人が現れたのです」(山本晁重朗)  この事実を再審請求の新証拠として提出したところ、1965(昭和40)年3月、山本は森川とともに偽証罪で東京地検に逮捕されてしまったのだ。これは、平沢犯人という結論ありきの当局側が、救う会の動きを牽制する意味があったとの見方がある。山本は1年後に、完全無罪判決を勝ち取る。冤罪が疑われる事件で、冤罪を生んでしまった構図である。  身を挺したこうした多くの人の活動にもかかわらず、平沢は39年間も獄窓につながれたまま、しかし、死刑が執行されることもなく、1987(昭和62)年5月10日に八王子医療刑務所で獄死した。95歳だった。  2015(平成27)年11月、遺族が請求人となり、虚偽自白を証明する鑑定書などを新証拠に、第20次再審請求が東京高裁に出された。敗戦から間もない混乱の時代、GHQ支配下で起こった謎多き重大事件は、まだ終わっていない。 <取材・文/青柳雄介>
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