高卒、シングルマザーだった元ギャル議員・三次ゆりか「偉そうな高学歴オッサンに政治を任せていられない!」
「やれることは、なんでもやりたい!」という三次氏。それには、高校生の頃にバイク事故で死に掛けたことが、少なからず関係しているかもしれない。
「17歳の夏にバイクで事故に遭い、頭蓋骨を骨折し脳挫傷を負ったんです。バイクに乗っていたはずなのに、気づいたら病院の集中治療室でベッドの上。『ドラマみたいですごい!』と『頭がすごく痛い!』、二つの意識が両立していました」
今でもふいに「もしかしたら、全部夢なんじゃないか。目が覚めると高校二年生の病院なんじゃないか」と不安になるという。
「でも、死にかけてて、死ななかったし、明日死んでも後悔のないように、『やれることはやろう!』と思っています」
ただし、ひとつだけ17歳の夏に大きな悔いが残っている。
「夏だったのでめちゃくちゃバイトして、うんと奮発して3万円の水着を買ったんです。当時流行っていたギャル系ブランドのTIARA(ティアラ)で買った豹柄の水着。『この水着で男の子たちと海にたくさん行くぞ!』と意気込んでいたのに、怪我のせいで日焼けも運動も一切ダメ、もちろん海なんてもってのほか。若かったので事の重大さがわからず、ただただ水着が着れなくなったことがショックで、事故に遭って初めてボロボロ泣きました」
そのときの思い出が、「夏を思いっきり楽しむために、いつか海の家をやりたい」という夢につながっている。悔しさや怒りも、マイナスの感情のままにはせず、前向きな形で実現しようというのが彼女のエネルギーのようだ。
もう一つ果たしたい野望があるという三次氏。
「実はいつかラーメンを開きたいくらいのラーメン好き。江東区は隠れた名店の宝庫なので、積極的に広報活動をして、東京オリンピックまでに江東区ラーメンを全国区で有名にしたい!」
そうやって江戸っ子らしい闊達な笑顔を見せてくれた三次氏。ド直球ストレートの言葉が、閉塞する地方自治に風穴を開けるかもしれない。
【三次ゆりか氏】
1985年東京生まれ。23歳で出産。産後うつ、離婚を経て起業し、公私に渡って子育て・母親支援の活動を展開してきた。2015年、江東区の議会議員に初当選。地盤、看板、カバンなし、高卒のシングルマザーでも選挙に勝てることを証明した。地域政党「自由を守る会」女性局長。実は、赤穂浪士の一人で仇討ち急進派の中心人物・奥田孫太夫重盛の子孫
― 閉塞の時代をブチ破れ![ニッポンの論点] ―
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