「男の寂しさを埋めるのは松尾芭蕉ではなくカンパニー松尾」風俗の客引きから学んだこと――爪切男のタクシー×ハンター【第二十五話】
路上の呼び込みと言えば、「諦めないで! あなたの乳首!」や「今一番神ってるお店はウチです!」というように、流行語をもじった下世話な呼び込みの台詞が一般であるが、吉田さんのそれは独特なものだった。
「お客様、私は趣味で俳句をやっております。下手の横好きでもう二十年もやっております。そして私は気付きました。男が本当に寂しい時に俳句など必要ありません。どんな素晴らしい俳句も男の心を癒してはくれません。あの松尾芭蕉の俳句でさえ何の役にも立ちません。男の寂しさを埋めるのはいつの時代も女、スケベな女しかいないのです。手コキ、お口、素股! お好きな方法で夢の世界に行ってらっしゃいませ! さぁさぁさぁ! さぁさぁさぁ! これ以上余計な紹介は致しません。当店自慢の女性陣があなたをお待ちしております!」
もはや名人芸の域である。
日本の俳句は素晴らしい。だがいつでも心に響くのかと言えばそうではない。お腹が空いた時は美味しいご飯が必要だ。俳句で腹は膨れない。貧乏な時は少々のお金が必要だ。男が寂しい時に必要なのは松尾芭蕉の俳句ではない。松尾は松尾でもAV監督のカンパニー松尾のAVが必要だ。人間はその瞬間に本当に必要な物を大切にして生きていくべきなのだ。吉田さんの呼び込みの台詞は、現代人が忘れがちな大事なことを教えてくれる。
男が勃起してる時に心に響く俳句なんてありゃあせんのです。
男が勃起してる時に心に響く歌なんてありゃあせんのです。
男が勃起してる時に思い出すのは昔の女のことばかりなのです。
渋谷の空がいつもより多めの星で埋め尽くされた夏の夜、吉田さんといつものように話していた。
「お客さん、今日は星がすごいですね」
「本当だ、こんなの滅多に見れないですね」
「私も毎日夜空を眺めてますけど、ここまでの星空は久しぶりですね。本当に綺麗です」
「……」
「……吉田さん」
「はい」
「僕、星を見ても綺麗だとか思えないんですよね。心が落ち着くとかもなくて」
「そうなんですか」
「はい」
「なぜそんなことを言うんですか? 適当に話を合わせてもいいのに」
「なんか、吉田さんには嘘を言いたくないなって思ったんです」
「……」
「……すいません」
「すごく嬉しいですよ」
「?」
「いいじゃないですか、星を見て感動しなくても、それも人間らしいですよ」
「そうでしょうか」
「星空の下ではロマンチックな話をしないといけないみたいな常識ありますよね。私、大嫌いなんですよ」
「ははは」
「素敵な場所にいるからこそ、安心して本当の自分をさらけ出していいと思うんですよね。別に汚らしくていいじゃないですか。星空の下で自分に嘘をついちゃいけないんですよ」
「じゃあ……美味しいお酒を飲んで酔っぱらって、横に居る女に『お前とヤリたい!』、これですかね」
「最高じゃないですか。最高の口説き文句ですよ」
「一緒に住んでる彼女と星でも見に行こうかな……」
「是非行ってください。倦怠期を青姦で突破ですね」
「ははは」
これが吉田さんと私の最後の会話となった。
その日以来、吉田さんの姿はパッタリと路上から消えた。吉田さんの担当していたお店の人、他の客引き達に訊ねてみても、何の説明もなくいきなり辞めたことしか分からなかった。何が星空の下では嘘をつけないだ。あの時にもう辞めることを決めていたのだ。私に大嘘をついていたのだ。私に何も言わなかったのは優しさであったことも痛いほど分かるので余計に辛かった。私の財布の中をラベンダーの匂いにしてしまっている吉田さんの名刺を取り出して電話をしてみる。呼び出し音だけがむなしく鳴り続けるだけだった。
その日から、私は風俗に行った時、空に綺麗な星が輝いていたら、延長料金を支払ってでも、風俗嬢と星空を眺めるようになった。もちろん下世話な話しかしない。これから先の人生で、星を好きになるなんてことはないが、星空の下で誰かと話すことは続けていくだろう。
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! ![]() |
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