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「男の寂しさを埋めるのは松尾芭蕉ではなくカンパニー松尾」風俗の客引きから学んだこと――爪切男のタクシー×ハンター【第二十五話】

 季節は秋になった。同棲中の彼女とプラネタリウムに来た。心の病を抱えている彼女は、その影響で夜に出歩くことができないため、プラネタリウムの星空で我慢しようということになったのだ。久しぶりのお出かけでウキウキしている彼女の横で、私は冷や汗をかいていた。暗所恐怖症の私にとって、星が輝く前に、場内が漆黒の暗闇に包まれる瞬間が恐怖でしかないのだ。私の不安は的中した。緞帳が下りてくるように場内を漆黒の暗闇が包み始めた瞬間、私の恐怖は頂点に達した。 「怖い! 怖い! 外に出る!」 「……おい」 「怖い! 怖い!」 「おい! 大丈夫だから! 大丈夫」 「うう……」 「おとなしくしときなよ」 「うう……」  そう言って、彼女は半べそをかいている私の手を強く強く握ってくれた。  正直言って性格も全く合わないし、漫画と音楽の趣味も合わないし、病気だから仕方ねえけど全然働かないし、病気のせいで毎晩俺の首を絞めてくるし、料理は豚の生姜焼きしかろくに出来ねえし、自分の時間もねえし、あんだけあった貯金もどんどん減っていくよ。最悪だ。でもお前が好きなんだなぁ。こんな情けない男の手を握ってくれる女はお前しかいないんだ。  人工の星空の下で素直にそう思った。  その日以来、泣くことが良いストレス解消になると知った私は、彼女を連れて足繁くプラネタリウムに通ったのだが、あまりに私が泣き叫ぶので出禁になってしまった。プラネタリウムを出禁になったカップルなんてそうはいないだろう。それは誇るべきことなのだ。  ある日乗ったタクシーの運転手が少しだけ吉田さんに似た初老の運転手だった。 「運転手さんは星を見るのが好きですか?」 「私ですか? 嫌いじゃないですけどね。毎日働いてるとそんな暇もないですよ」 「そうですかねぇ……」 「この忙しい街で星空を見上げてるような人は居ないと思いますけどね」 「……」  人間の欲望がうずまくこの繁華街で、星空を見上げてにっこり微笑んでいた素敵なジジイが居たことを私は知っている。 文/爪 切男 ’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman イラスト/ポテチ光秀 ’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu ※さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた当連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築した青春私小説『死にたい夜にかぎって』が好評発売中
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死にたい夜にかぎって

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