長年、公にしていなかった結婚していた過去
――本書で初めて、2年ほど結婚していた時期があることを明かしました。
和嶋:はい。30代前半のころですね。もちろん「好きな人と一緒にいたい」というシンプルな気持ちがまずあったのですが、内面を正直に話すなら、郷里の青森からまた東京に出たい、田舎から離れたい……という渇望を果たすために、結婚という“理由”がほしかったのかもしれない。
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――そのころ、お父さまを看取るために東京から青森に戻り、亡くなった後もしばらく青森でバイト生活をしながら、バンド活動を続けていました。
和嶋:そうだったんですが、このまま青森にいても思うようにバンドができないと思いまして。もう一度、東京に出たい。そう母に懇願しました。そして、当時お付き合いしていた人と結婚して、それもきっかけのひとつとして青森を離れたんです。
――その結婚生活も、2年で終わります。
和嶋:バンド活動はがんばって続けていましたが、とにかく稼ぎが少なかったので、パートで働く奥さんに頼り切りだった。僕は、食客みたいな状態でした。
――このままだと、いい作品が書けなくなる。一人で苦渋をなめなければ人として駄目になる。だから別れてほしい……そう奥さんに伝えたことが本書にも出てきます。
和嶋:自分勝手な言い分ですよね。嫌いになったわけでも、他に好きな人ができたわけでもなく、僕自身が怠け者なだけだったのに。それでも、奥さんは理解してくれて、離婚を承諾してくれたんです。僕が貧乏だったことは重々承知しているから、奥さんは何も要求してきませんでした。申し訳ないやら、ありがたいやら。本当に、彼女にはいまでも感謝しています。
――その経験を経て、結婚観も変わりましたか?
和嶋:慎重になりましたね。貧乏でも、結婚はできるんです。「貧しくても構わない」と言ってくれる女性も、きっといます。ただ、それでも貧乏なりに、働いて稼がなければ、たぶん幸せにはなれません。そういう当たり前のことを、ようやく理解したというか。女性に食わせてもらうような生活を続けると、男はどんどん甘えて、駄目になっていく。少なくとも僕はそうでした。
――そうした状況は、楽曲制作にも如実に影響する、と。
和嶋:はい。自分は駄目な人間である、と自覚したとしても、それをどこかで肯定するようにして、ズルズルと生きていくと、曲がどんどん駄目になっていくんです。どんなに取り繕おうとしても、作品には作り手の人間性がそのまま出てしまう。僕はミュージシャンですから、曲づくりにおいて不誠実でありたくはないんです。だから、ちゃんと苦労もして、甘えないように生きていきたい。そんな風に考えるようになりました。
――作品は、自分とは別物として、理屈や方法論、経験則でつくってしまうこともできるのでは?
和嶋:そういうつくり方もできます。ただ、僕の場合はもっと肉感的な、自分のなかから涌き上がってくる生々しい感覚と向き合って作品を仕上げていくことを、十代のころからずっと続けてきたつもりです。それが、どんなに非現実的にみえるような曲でも。それを失ってしまっては、僕の作品ではなくなってしまうような気がしています。
【和嶋慎治】
1965年、12月25日生まれ。青森県弘前市出身。高校時代の同級生である鈴木研一(ベース)と人間椅子を結成。ギターとヴォーカル、作詞作曲を担当する。近年は、ももいろクローバーZの楽曲のギターとして参加したり、上坂すみれ(声優)、ひめキュンフルーツ缶などへの楽曲提供もする。初の自伝本『
屈折くん』が発売中
<取材・文/漆原直行 撮影/渡辺秀之>
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『屈折くん』
人間椅子の中心人物、和嶋慎治による初の自伝!! 幼少期からバンド結成、現在までを明かす!!
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