渡辺浩弐の日々是コージ中
第411回
4月15日「加速するネカフェ差別」
・今度はドラマか。ネットカフェに寝泊まりしている人が腰が痛いと呻いている風景を餌食として貪りつつ、そこにベッドを設置してはいけないという法令について突っ込まないマスコミって、おかしいよね。
4月16日「FF XIII燃料投下」
・CGアニメーション・ムービー『ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン コンプリート』発売。PS3『ファイナルファンタジーXIII 体験版』がセットになってる。早速カフェでゲーム好き仲間とプレイ。
・ところで『アドベントチルドレン』のアップロードについてスクエニは厳しい対策を行っているが、体験版の方のプレイ映像については寛大に対応しているようだ。これが現状における正しい姿勢だと思う。動画共有システムはリニアな映像にとって敵になり、インタラクティブな映像にとっては味方になるということが、興味深い。
・FFXIIIは、X360にとってのアイマスのような効果をPS3にもたらしはじめている。PS3を持ってる人はかなりの割合でこのソフトを買うはずだが、PS3本体を持たない人も、ネットにアップされている映像でFF XIIIを確認する。その媒体効果がPS3の普及を加速するのである。
4月17日「シャッターに隠されているもの」
・また新しいことをおっぱじめることになったので(なんか毎年こんな感じだ)中野ブロードウェイの物件を見て回っている。混沌の通路をうろうろうろうろ。10年前も20年前も同じ場所を同じようにうろうろうろうろしていた。考えていることも変わっていない。20年前はフィクションとして妄想していた、10年前はシミュレーションとして想像していたようなこと。
・シャッター物件の所有者を一つ一つ調べて回っているのだけど、使われていないようで実はいろいろな用途に使われていたりして、怖かったり、面白かったり。
第410回
4月9日「アレルギー体質」
・花粉症はつらいけれども、花粉のアレルギーが出ている間は肌のアレルギーが出ない。花粉が終わると肌がつらくなる。
・日中はなんということもないのだけど、困るのは眠っている間にかきむしってしまうことだ。目覚めたら全身血まみれになってしまってるなんてこともある。厚手の手袋をしたりして寝るのだが、どうしても無意識のうちに取ってしまう。手首のところできつく留めておいても、歯で食いちぎったりしてる。
・そこで、後ろ手の形で両手を縛ることにした。これはなかなかいい具合だった。痛くないように、かつ、外れないように、指導本などを見て縛り方を研究した。結果、亀甲縛りをアレンジした渡辺縛りを開発した。
・すなわち全裸に縄だらけの姿で寝るのである。仕方ないではないか。一度、寝相が悪くてベッドからずり落ちかけていたことがあった。運悪く、ベッドの端に縄の先が引っかかっていた。縄の首筋の部分が絞まり、苦しさのあまり目が覚めたのだ。
・すぐにまた薄れていく意識の中、これで死んだら、完全密室殺人事件になるかもしれないと気付き、ひとりで興奮していた。
4月10日「ネット上のライブハウス」
・ニコニコ動画「ユーザー生放送」の枠が4月に入って100枠から180枠に増えた。と思ったら今日、240枠に増えていた。それでも常に満杯だ。
・ちょっと面白いことをやれば数十人~100人くらいはすぐに集められる機能は都心のライブハウスなみの媒体力はあるってことだ。それが240個もあるのだ。数千人が絶えずライブに参加してるわけである。
・連打枠取り合戦がやだって人は500ポイント(500円)で枠の予約もできるようになったので、インディーズのバンドや地下アイドルのようにライブハウスサイズの場所から天下を狙っている人たちはどんどん使った方がいいよ。企業の場合、チャンネルを開設すればいつでも必要な時に生番組をおっぱじめることができるわけである。今後はこういうメディアの価値を生かせるところが生き残れると思う。
4月14日「うまくいったら農家に」
・いろいろな条件下でいくつかの種類のコーヒー苗を育てている。東京でコーヒー豆が作れたら本当に面白いんだけど、どうだろうかな。来冬はビニールハウスが必要かな。ビニールハウスって風通しはどうすればいいんだろう。
第409回
4月2日「やってみよう」
・ゲーム実況が面白くてたまらない今日この頃。遂にチャンネル開設を申請。これも4月1日付けで書けば良かったかな。
・ピンと来た人、特にクリエーターの皆さん、連絡下さい。
4月3日「幻想の残像」
・大学の再来年卒業者、つまり新3年生の就職戦線が既に過熱しているらしい。就職活動の必死さは、そもそも終身雇用制度を前提にしたものだった。今はせっかく入ったところでいつクビになるかわからないのである。企業側にしたら理論的には給料1ヶ月分を払えばいつでもクビにできるのだし余裕のない今はその理論通りのことが行われている。いまだにスーツ着て髪切って1年も費やして必死でぺこぺこしてまわるほどのものでもないのではないか。
・つまり一流大学に入ることも、さらには受験に特化した勉強に時間を割くことも、同じである。
・ところで企業が社員の一生を保証してくれるという幻想が機能したのはせいぜい1960年からの30年間くらいである。新入社員として就職して予定通りに定年まで過ごせた人って、ものすごく少ないのだ。
4月8日「学びつつ教える」
・大学(大学院)の授業、スタート。資料の書面や映像はもうあまり使わないようにしてできるだけ喋ることにする。今は現在進行形の事象が一番面白いからだ。大学なんか通っている場合ではないんじゃないか、という結論になると自己矛盾するんだけど。
・来年あたりからは授業をニコ生でやりたいと思ってるけど、そういうわけにはいかないんだろうね。