爪切男のタクシー×ハンター【第一話】「俺もお前も四天王」
―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。
【第一話】「俺もお前も四天王」
酒と金と欲望が渦巻く東京は渋谷。日本有数の繁華街である渋谷の中で、ラブホテルが密集して建ち並ぶ円山町の外れにひっそりと建つオフィスビル。なぜか入口が三重もの電子ロックで守られていたそのビルで、私はいかがわしいメールマガジンの編集長として働いていた時期がある。原稿執筆、進行管理といった通常の編集長業務だけでも大変だったのだが、うちの編集部は、私以外の編集部員が全員ラッパーという特殊部隊だったので「編集長、今度の記事、西海岸風に書いてみたんス、どうス?」というよく分からない質問をされたり、韻しか踏んでいない蕎麦屋のグルメレポートが提出されてきたり、編集部に一体感を出すためという理由で、全然似合わないベースボールキャップをかぶって仕事をさせられるといった自分の肌に合わない職場環境に悩まされていた。
そんな辛い編集長業務を長年続けられた理由はよく分からない。考えられる理由とすれば、七年半同棲していた彼女にフラれたショックで、自分の生活を劇的に変えようと必死だったのではないだろうか。思い返せば、私の女性遍歴は、初体験が出会い系で知り合った車椅子の女性、初めて出来た彼女がカルト宗教にハマっていたヤリマン、ようやく同棲までこぎつけた女性は重度の不眠症というなかなかドラマチックなものだった。しかも、不眠症の彼女は、私をフった直後に過眠症のDJと付き合ったのだからたまらない。だが、私は彼女を責めることはできなかった。だって、眠れない女とよく眠る音楽家の恋物語なんて、とても素敵じゃないか。
食事休憩や帰宅途中に見かける深夜の渋谷の街は、想像以上にスリリングなものだった。たちの悪い酔っ払い、危ない場所で遊んでいる自分に酔ってはしゃぐ未成年、蕎麦屋を根城にしている立ちんぼ女性、靴底に薬物を隠してあるスニーカーを売りつけてくる大柄な黒人、突然チャゲ&飛鳥の「YAH YAH YAH」を歌い出したが、サビの「YAH~YAH~YAH~」で大きく音程を外してからしょんべんを漏らすホームレス、本当に色々な人達がいた。そんな人達を見ているのはとても楽しかったのだが、日々の仕事のストレスは徐々に私の精神を蝕んでいき、食欲はゼロに。体重は一ケ月で十キロも痩せるような散々な有様だった。
同僚と飲みに行って愚痴でもこぼせば良いストレス解消になったのだろうが、編集長とは孤独な役職であり、同僚とうまく打ち解けられなかった私にとって唯一の話し相手は、帰宅時に乗るタクシーの運転手だけだった。私と運転手、二人だけの密な空間。時間にすると、渋谷から自宅までの約三十分間、どうでも良いくだらない話をするだけの束の間のひと時にどれだけ救われたか分からない。親身になって話を聞いてくれる人、全く話を聞かずにただ頷くだけの人、思いもよらない面白話をぶっこんでくる人、たくさんの運転手に出会った。一緒に大笑いする日もあれば、運転手の何気ない言葉に感心する日もあった。様々な運転手との一期一会の出会いは私の渋谷での日々を助けてくれた。もちろん会話が全く噛み合わず気まずい雰囲気になる日もあったし、いつもいつも面白い運転手に出会えることなどはない。でも私は知っている。昔に行った風俗店で、フェラをしてもらう時「激しくされるのが苦手だから、初めて火という存在に出会った人間のように、俺のチンコを火だと思って優しくフェラしてください」という私の無理難題に、チンコを初めて見る物体のようにキョトンとした表情で恐る恐る手で握った後、満面の笑みで「何……これ……あったかい……」と言った最高の風俗嬢との出会いを知っている。待っていても何もはじまらないのだ、自分から話しかけないと出会いなどないのだ、だから私はこれからもタクシー運転手に積極的に話しかける。そんな運転手と私の素敵な思い出をここに書き残しておきたい。
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!
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