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皇室の女系容認論は詭弁。昨日までサラリーマンだった人を天皇の資格ありと承認できるか?/倉山満

本気で「皇位の安定継承」を言うなら、「絶対に子供が生まれる医学」が誕生しなければ不可能だ

 では、聞く。「皇位の安定的継承」が行われた時代は、いつだ?  皇族の数が多すぎると争いになるのは、古今東西の歴史が証明している。多くの外国では、何十親等離れていようが、王位継承を主張できる。  我が国でも古代の皇族の数が多かった時代は、皇位をめぐって争いが多発した。だから我が皇室では、皇族に生まれても特別の理由が無ければ、天皇から玄孫の代までに臣籍降下して皇室を離れなければならない。「五世の孫(そん)」の原則だ。  なお、これまでの皇位継承で最も血縁が離れた皇位継承は、第25代武烈天皇と第26代継体天皇の十親等である。聖徳太子の100年前の時代の先例だ。  我が国は諸外国と違い、単なる男系男子を皇族と認める国ではない。近衛文麿、西園寺公望、足利義満、源頼朝、平将門……。全員、天皇の血を引く男系男子だが、皇族ではなく民間人だ。  これらの人たちが皇位継承を主張すれば、間違いなく日本の歴史は血塗られていただろう。皇室が続いたかも怪しい。我が国は君臣の別を明らかにし、皇位継承者を絞ってきたから、一度も途切れることなく、皇室が続いてきたのだ。  皇族の数が多くても少なくても、皇位の継承は簡単ではないのだ。  現在は、2600年以上の歴史を続けるか否か、悠仁親王殿下が、たった一人で背負っていらっしゃる。  もちろん、悠仁親王殿下が即位され、男の子がお生まれになるに過ぎる幸せは無い。男の子が一人ではなく、何人もいてくだされば、なお国の幸いである。  しかし、側室を何人も置いて多くの子供を作れば解決する訳ではないのは、長い皇室の歴史が証明している。  第52代嵯峨天皇や第108代後水尾天皇には、何十人も皇子がいた。ほとんどが側室に産ませた子である。  ところが嵯峨天皇の三世代後、後水尾天皇の五世代後に、皇位継承問題が発生している。その都度、傍系の皇族の方々に皇位を継承していただき、皇統を保持した。傍系継承によって危機をしのいだのだ。  そもそも、である。男子だろうが、女子だろうが、子供が生まれなければ、家は絶える。他の家から養子を連れて継がせるなら簡単だが、皇室は民間人とは違うから、皇室なのだ。  本気で「皇位の安定継承」を言うなら、いかなる制度であろうが、「絶対に子供が生まれる医学」が開発されない限り、不可能ではないか。不可能を前提にした主張、これを詭弁と言う。  現在の皇室が、なぜ危機にあるのか。悠仁親王殿下の時代までは、皇位継承が可能だ。  だが、殿下御即位あそばされた時、男性皇族は一人もいなくなる。その時、男の子が生まれなければ、直系は絶える。そして、直系が絶えた時、継ぐべき皇族がいないと、皇室は絶える。だから、宮家が存在しなければならないのだ。  では、宮家を継がれる方々は存在するのか。既に公にされているが、東久邇家と賀陽家には、成人の男系男子が複数存在する。  将来の危機に備えて為すべきは、現在は民間人としてすごされている方々に親王宣下し、すみやかに旧宮家を復活させることだ。ただし、その方々には、皇位継承権を認めるべきではないだろう。  第60代醍醐天皇は、生まれた時は民間人だったが、親王宣下され、後に即位された。旧皇族から即位された、唯一の先例である。だが、父は第59代宇多天皇の子であり、自身も2歳で親王宣下されている。  それに対し今の旧皇族の方々は、明らかに血が遠いし、何十年も民間人として過ごされている。皇位継承まで認める先例とはならない。  だからこそ、一刻も早く旧皇族の方々に親王宣下し、その御子様方には「生まれた時から皇族」として生きていただくことが必要なのではないか。すなわち、悠仁親王殿下を支える藩屏(はんぺい)としての自覚を。  我が国の歴史は、皇室と国民の絆である。国民が納得する知恵を、皇室の歴史に求める努力こそが必要ではないだろうか。憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数。最新著書に『13歳からの「くにまもり」

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