“ご当地電力”で福島が日本のエネルギー拠点になる
福島第一原発事故を受けて、今も11万人以上が避難生活を続ける福島県では自然エネルギーを利用した“ご当地電力”の動きが活発になっている。
⇒【資料】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=854487(福島各地のご当地電力マップ)
その動きをリードしているのが、「福島県の全電力をまかなう」ことを目標に掲げる「会津電力株式会社」だ。
社長には、喜多方市で江戸時代から続く大和川酒造店の当主、佐藤彌右衛門氏が就任。震災が起きるまで佐藤氏はこう考えていたという。
「会津の名水と米があれば、うまい酒を造ることができる。そして会津には食料も豊富にある。だからこの地域は、災害があっても自立して生き残っていける」と。
しかしその信念は、原発事故によって打ち砕かれた。
「代々続く酒造りが自分の代で終わってしまうという危機感を抱きました。福島県はこれまで、地元で作った電気を都会に持っていかれていました。地域にエネルギーを取り戻し、自立していくべきだと強く思ったんです」
佐藤氏らは地域の人々に呼びかけ、’13年末に会津電力を設立。’14年には22か所で合計約2500kWの太陽光発電設備を設置した(一般家庭約750軒分の電力)。今後は水力発電やバイオマス利用も計画。「いずれは会津、そして県全体のエネルギーをまかなえる存在になりたい」と構想する。
「会津には太陽光のほかにも水力や地熱など自然資源が豊富にある。エネルギーを自給し、余った分を東京に輸出するという仕組みに変えていきたい」(佐藤氏)
●会津電力(会津地域)―― 原発事故を受けて、会津地域の会社経営者らが集まり’13年末に設立した。自らの酒造会社の酒蔵にもソーラーパネルを設置している佐藤社長は、「自分たちの手にエネルギーを取り戻したい」と語る。会津は雪国だが、雪が降っても滑り落ちる設計になっているので、冬でも十分な発電量を得ることができる。
◆全村避難の村で、復興に立ち上がった酪農家
原発事故による全村避難が続く飯舘村では、会津電力のバックアップにより新たな“ご当地電力”が生まれた。飯舘の酪農家の一人、小林稔氏が震災後に喜多方市に避難。佐藤氏らとともにもう一度、「飯舘の米で酒を造りたい」と米作りを続けていた。
会津電力の活躍に刺激された小林氏は「飯舘電力株式会社」を設立。’15年に村民をはじめ全国の有志から出資を受けて、太陽光発電設備を設置した。
村役場の目の前で今年2月に稼働を始めた第1弾設備の出力はおよそ50kW。今後は風力発電などの設備を増設し、売電収入を復興に役立てたいとしている。
飯舘電力はあくまで地元の人が中心になって、村の産業をつくることにこだわっている。社長の小林氏はこう語る。
「これから村に雇用を増やし、若者が帰ってこれるような魅力ある地域づくりをしていきたいですね」
●飯舘電力(飯舘村)―― 原発事故の被害に遭い、現在も全村避難が続く飯舘村で、村民からの出資を受けて’14年9月に設立。村は至るところで、行き場のない除染された土などの放射性廃棄物が袋に積まれて放置されている状態だが、社長の小林稔氏は「季節ごとに花々が咲き誇る美しかった飯舘村を再生し、村民の自信と尊厳を取り戻したい」と語る。小林氏は、村で長年にわたり米作りと酪農を続けていた。
⇒【後編】「元気アップつちゆ」「いわきおてんとSUN企業組合」に続く https://nikkan-spa.jp/854472
取材・文・撮影/高橋真樹
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