スポーツ

ジャイアント馬場のギミックから始まった――“巨神”石川修司が辿った茨道【最強レスラー数珠つなぎvol.6】

――絶望の淵から這い上がったきっかけは、ユニオンプロレスへの移籍だった。 石川:絶望というか、なにがしたくてプロレスをしているのか分からなくなったんです。ユニオンに入った頃、池田大輔さんがフーテン プロモーションというバチバチプロレスの団体を旗揚げしたんですけど。本当にもうバコバコしばき合っていて、思いっきり殴る蹴る。それが楽しそうに見えたんですよね。飯伏が出場していたので、じゃあ俺も出してくれとお願いして出してもらったんです。そこで自分の表現したい、戦いたいプロレスが見つかりました。 ――バチバチプロレスがいまのスタイルに繋がったんですね。 石川:プロレスはショー的に見られる要素が強いと思うんです。そう見られるのはいいんですけど、ただ、痛いんだよというのをお客さんに感じてほしいから、だからいまのスタイルだったり、デスマッチもやっていたのかも知れないです。あとはユニオンに入ってから大日本プロレスにも上がらせてもらって、インディーのトップだった関本大介とかと戦う機会が増えたことによって、自分の足りないところが見つかったのも大きいですね。 ――足りないところとは? 石川:身長はあったので、それまであんまり力負けしたことがなかったんですよ。ただ、関本大介とかって、身長は僕よりないですけど、パワーが全然違っていて力負けしちゃうんですよね。だから自分は全然ダメなんだな、もっともっと体を作らなきゃダメだなと思って、そこからトレーニングの質もどんどん上がっていきました。いろんな要素が絡まって充実していった感じはあります。 ――大日本のデスマッチには自分から参戦したんですか。 石川:ハードコアをやっているときに、伊東(竜二)さんに「今度、最侠タッグがあるんだけど、デスマッチやれるか?」と言われたんです、メールで(笑)。レスラーとして、「デスマッチやれません」って言うの、カッコ悪いなと思って。レスラーになりたい人は、金銭面というより名前を残したいみたいな部分があると思うんですけど、大日本でメインをやるにはデスマッチをやるしかなかったんです。自分の名前が上がればユニオンプロレスの名前も上がるのかなというのもあって、伊東さんのメールに「やります」と返信しました。 ――いまはストロングBJに出場されていますが、デスマッチはもうやりませんか。 石川:やってみて良かったなとは思いますけど、いまは理由がないとやりたくないですかね。ベルトがあるとか、タイトルに絡むとか、理由付けがあればやりたいんですけど。単純に「蛍光灯マッチがあるから出てくれ」だと、あんまりやりたくないかなと思います。
次のページ right-delta
2016年はベルトやトーナメントを総なめ
1
2
3
4
5
おすすめ記事