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世間を騒がせる“主婦”こだまの私小説『夫のちんぽが入らない』は、一体どんな本なのか? 中身エピソードを公開

 あるとき、夫が俯き加減で帰ってきた。 「チーズフォンデュって知ってる?」 「知ってるけど。なんで?」 「きょう職場のみんながチーズフォンデュの話をしてたから、それ何?って訊いたら馬鹿にされたんだ。食べたことないの俺だけだったよ」  かわいそうに。小学生のように肩を落とす夫を見て、お母さんのような気持ちになった。息子が学校でからかわれて帰ってきたらきっとこんな気持ちになるのだろう。仕事の忙しさにかまけてチーズフォンデュを一度も食べさせてあげなかったことを悔いた。私は夫の望むことをすべて経験させてやりたい。 「おとなしく待ってな」  いてもたってもいられず家を飛び出し、ホームセンターでフォンデュ鍋を購入した。続いてチーズ、バゲット、ウインナー、ブロッコリーなど思いつく限りの食材を買い込んだ。すぐに食べさせよう。今夜すぐに。  固形燃料に火をつける。にんにくと白ワインの香りが部屋に漂っている。夫は訝しがりながらウインナーに串を刺し、ぐつぐつととろけるチーズに絡ませた。バゲットにも温野菜にも。ひと通り口にしたあと、言った。 「これはチーズを付けないでそのまま食べたほうが美味いな。もう二度と作らなくていいよ」 「了解」  こういう結果を生むことは多々ある。フォンデュ鍋も固形燃料も以後使用されることはなかった。いいのだ。経験させることが大事なのだ。 「耳毛が伸びてるって言われた」 「ネクタイの柄を笑われた」 「靴下の色ださいって言われた」 「耳の後ろが臭いって言われた」  夫が悲しい顔をして帰宅するたびに職場の人間たちを「くそ共め」と呪った。刃先の細い鋏で飛び出た耳毛を切り揃え、可愛らしい色柄のネクタイと靴下を買い、登校前に汗ふきシートで耳の後ろから首筋にかけて丹念に拭ってから送り出す。完璧だ。  夫をこれ以上かわいそうな目に遭わせるわけにはいかない。  この人は、ちんぽの入らない人を妻にしているのだから。 <著者プロフィール> 主婦。’14年、同人誌即売会「文学フリマ」に参加し、『なし水』に寄稿した短編「夫のちんぽが入らない」が大きな話題となる。’15年、同じく「文学フリマ」で頒布したブログ本『塩で揉む』は異例の大行列を生んだ。現在、『クイック・ジャパン』『週刊SPA!』で連載中。短編を大幅に加筆・修正した完全版『夫のちんぽが入らない』が好評発売中。
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