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なぜ女性は「おひとり様」が苦手なのか?を考えてみる【カリスマ男の娘・大島薫】

 見た目は美女でも心は男――。「カリスマ男の娘」として人気を博し、過去には男性なのに女優としてAVデビューを果たした大島薫。女性の格好をしたまま暮らす“彼”だからこそ覗ける、世の中のヘンテコな部分とは?
大島薫

大島薫

 早朝の牛丼屋に何らかのバリヤーを感じる。  ボクは23歳のころまで、男性の見た目で暮らしてきた。そのころに1人で入れていたチェーンの牛丼屋や、カウンターだけのラーメン店に入りづらくなっていることに最近、気づいた。  昔、男の世界しか知らなかったころは、女友だちの言う「ラーメン屋さんとか1人で行ってみたーい!」という言葉に、「自分が行きたいと思ってるなら、フツーに行けばいいんじゃん」なんて考えていたものだ。誰に気を使う必要があるのか、と。  しかし、実際のところ、いま自分が女性と同じ見た目になってみると、たしかに。そういった店の入り口まで来ると、目には見えないバリヤーのようなものを感じる。それを押し返して、店に入ってしまえばなんてことはないのだが、入るまでがひと苦労だ。  このバリヤーの正体は一体何なのだろう?

「想像力」が店に入るのを、ためらわせる

 ボクは思う。きっとこれは「想像力」なのだ。  こんな男性客ばかりの店に、女性(に見える人)が1人で入ってきたら、一体どんな反応をされるだろう。という、想像力のバリヤー。  男性もごくたまに、この想像力のバリヤーが働くときがある。例えば女性向けのファンシーな喫茶店なんかは、なかなか男性も入り辛いと感じるだろし、たとえ彼女へのプレゼントだとしても女性用下着売り場にはなかなか入る勇気が出ないのではないだろうか。想像力のバリヤーとは、そんなイメージ。  しかし、男性にもそういうものが存在するにせよ、やはり女性は特にこれが顕著に思える。たぶん男性は意外に思うかもしれないが、女性向けのファンシーな喫茶店は女性だとしても、1人では結構入りにくい。というか、1人だとどこでもこの想像力のバリヤーが生まれてしまうのだ。一体どうしてだろう?  これは、女性がコミュニティーの中で生きて来たからだとボクは考える。  この日刊SPA!の記事内では、折に触れて「男性の社会」、「女性の社会」というものについて、ボクの経験上感じたことを書いてきた。「女性の会話には同調と同意というルールがある」や、「男性は自分の視点、女性は他人の視点を優先しがちになる」などなど……。  そういうことを踏まえて考えると、女性は常に相手からどう見られているかということを意識しているように思えてならない。学生時代お弁当は必ず誰かと一緒に食べたり、連れだってトイレにみんなで行ったり。女性はどこかのコミュニティーに属しているというポーズが必要で、そういう社会で生きていると、そうでない自分は奇異の目で見られるという想像がイヤでも膨らんでしまう。  女性が入れるという謳い文句のラーメン店がカウンターに仕切りを付けるのも、本人の姿を隠すうんぬんというよりかは、本人がそういう周りの視線が気にならないという効果のほうが大きいのではないだろうか。
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実際には「他人は自分をそんなに見ていない」はずなのに
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