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ボクシング山根会長の愛車「トヨタのスーパーカー・センチュリー」が3代目にフルモデルチェンジ

「アンタは世界一の男や!」で有名な、日本ボクシング連盟終身会長だった山根明氏。その愛車が、日本の最高級車トヨタセンチュリーであることも、日本中誰ひとり知らない者はいないくらい知れ渡った。もう忘れたかもしれないが。  思えばセンチュリーは、つい先日、2代目から3代目へ代替わりしたばかりだ。山根会長が有名人になる寸前に、会長の愛車は旧型になってしまったわけだが、そもそもセンチュリーとはどんなクルマなのか?

フルモデルチェンジして3代目になったセンチュリーに拝謁。思わず土下座しました(写真/池之平昌信)

初代は30年間、2代目は21年間も生産されたセンチュリー

 先代センチュリーが登場したのは、1997年。つまり21年前だ。21年間もモデルチェンジせずに存続する国産車など、そうそうあるもんじゃないが、初代センチュリーが登場したのは67年。つまり初代は30年間、フルモデルチェンジを受けずに生産され続けたのでした! 3分の1世紀も生きながらえるとは、さすがセンチュリー(世紀)。

こちらは初代センチュリー

 トヨタというと、無駄を極限までそぎ落とした生産技術で有名だが、センチュリーはその真逆。とことん手作りされるのが伝統だ。トヨタが威信をかけ、採算を度外視し、天皇陛下をはじめとするVIPのために生産する、いわばトヨタのスーパーカーなのである。実際センチュリーは、御料車の準エース。ちなみにエースは、皇室のために4台だけ生産されたデカセンチュリー、「センチュリー・ロイヤル」でありまする。

2代目センチュリーは世界三大12気筒エンジンのひとつを搭載!

 山根会長の乗る2代目センチュリーの最大の特徴は、国産唯一、センチュリーのためだけのV型12気筒エンジンを搭載していたことだ。直列6気筒エンジンを2個組み合わせて作られた、トヨタのフェラーリエンジン(?)は、5000ccの排気量から280馬力を絞り出す。今の基準だと「5リッターでたったそんだけかい!」だが、20年前に一度だけ試乗させていただいたそのフィーリングは、ある意味異次元のものだった。  まったくエンジンの存在感がなかったのである。まるでエンジンがないかのように静かで、がんばって加速しても、エンジンフィールがほとんど感じられなかった。  当時私は感動のあまり、これを世界三大12気筒のひとつに数えたものである。フェラーリ12気筒が「炸裂」で、ジャガー12気筒(現在は消滅)が「陶酔」ならば、トヨタ12気筒は「謙譲」。なにしろ12気筒という最も贅沢なエンジン形式でありながら、存在感がないのだから! 和のココロよのう。

日本ボクシング連盟終身会長だった山根明氏の愛車は2代目センチュリー

 また、先代センチュリーと言えば、後席のVIPのための「靴べらホルダー」や、助手席の背もたれ中央部のみをパカッと後方に倒して、そこに足を突っ込んで伸ばせるといった、センチュリーならではのゴージャス装備でも名高かった。これは、「部屋の中では靴を脱ぎ、足の裏をスースーさせる」という、日本文化の結晶でもある。
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山根会長は辞任したが…
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1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中

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