渡辺浩弐の日々是コージ中
第209回
4月8日「物持ちの良さ」
・DSの『エレクトロプランクトン』とてもキモチイイ。電子の海を泳ぐ様々なプランクトンたちに、タッチペンで触ったり、あるいはマイクに声をかけたりして干渉する。10種類のプランクトンたちはそれぞれ独特の反応をする。踊ったり、増殖したり、喋り返してきたり。それが全て、心地よい音楽と映像になっていく。
・作者はメディアアーティスト、岩井俊雄氏。ラフォーレ原宿で開催されていたエレクトロプランクトン展にも行ってみた。岩井氏の創作の歴史をまとめたものになっていて、「時間層」シリーズやウゴウゴルーガのCGキャラクター、あるいはファミコン(ディスクシステム)対応の音楽シューティングゲーム『オトッキー』などの作品が時代の順に並ぶ。発売中止となったスーファミ版『サウンドファンタジー』のパッケージやマニュアルまで!
・ずっと時代を遡ると、小学生の頃デスクに描いていたラクガキや発明ノート、万博見学の記録、中学生の頃は教科書の隅に描いていたパラパラマンガ、なども展示されていた。顕微鏡やテープレコーダーや電子ブロックはこの『エレクトロプランクトン』の発想に直接つながるものだったという。個人的には同世代なので、とても理解できる。それにしてもこの人、異常なほどの物持ちの良さである。
4月13日「ゲームクリエーター的才能」
・『運命じゃない人』という映画の評判がとても良いので試写を見に行った。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)出身の内田けんじ監督が、PFFスカラシップのシステム上で撮った商業デビュー作らしい。
・アタッシュケースに詰まった札束をめぐり、気弱なサラリーマン、探偵、女結婚詐欺師、失恋した女、やくざの組長、等々が繰り広げるそれぞれのエピソードが、個々の視点から描写される。時間軸が行きつ戻りつしながらそれぞれのストーリーは巧みにリンクしていく。それぞれの視点がすれ違うたびに同じシーンが繰り返されるが、それらはどんどん違う意味を持つようになっていく。
・と書けば、ああ『パルプ・フィクション』ね。と納得してしまう人が多いだろう。確かにその通り、これはあまりにもパルプ・フィクションであり、ゆえに評論家はあまりほめてくれないだろうし、映画祭に打って出るにも不利かもしれない。
・しかしですね、この作品は、ちゃんと別のオリジナリティーを持っているのだ。あの構造の上に、非常に日本的なスタイルの物語を載せることに成功してるわけ。例えば同じシーンが視点を変えて何度もトレースされることを前提に、演技は、徹底的に演出されつくしている。それで役者の挙動やセリフは、まるで小津映画のように奇妙に様式的になっていて、それがなんともいえない索漠とした味になっている。また、携帯電話による会話がそれぞれの物語のうまい接点として機能している。そういうギミックによって、今都会に住む独身男女の孤独が、とてもしんみりと暖かく現出していくのである。この監督のシナリオ力は、凄いです。
・『街』を思い出す人も多いかな。ゲーム業界が不景気になったおかげで、ゲームクリエーター的才能が各界に散らばり始めたような気がしてるんだけど、どうでしょう。
4月14日「ITバブルに中身を詰めて」
・早稲田大(大学院国際情報通信研究科)の講座が始まった。この学科の狙いはIT系のスペシャリストを育成することだ。例えばデジタルコンテンツとしての映画の研究もきちんとやっている(PFFの入賞者を受け入れたりもしているらしい)。
・僕も学生と一緒に、コンテンツの特性を学問の領域から捉えていくことに努力している。大手企業にも余裕がなくなってきたせいか、ここ数年は社会人入学者が激減しているが、でも今が落ち着いて研究を深めるチャンスだと思う。ITのブームはもう一度来ると思う。ただし今度はバブルではなく、真剣に中身(コンテンツ)を詰めていく努力が求められる。
第208回
4月2日「『商材』としてのアニメ」
・東京国際アニメフェア2005。東京都主導で「産業としてのアニメを振興する」という明確な方向性がある、つまり非常にいさぎよいイベントである。出展する側も来訪する側も目的意識を持って参加できるところがいい。例えばコナミの新作『極上生徒会』のチラシには、ロイヤリティーのパーセンテージまできちんと明記されている。あくまでも「商材」としてアニメ作品を展示、そして国際的な商談の場としての機能を最優先にしているわけだ。アニメは天才による美術品や職人による工芸品でいいのか、もっとちゃんと商売するべきじゃないのか、という問題意識の提示でもある。
・目に付いたところでは、「NOITAMINA」というブランドを打ち立てているフジテレビ。『ハチミツとクローバー』や『パラダイスキス』がこの枠(毎週木曜24:35~)だ。深夜帯アニメを固定化したおたく層からなんとか一般層に広げようという努力である。こういう試行錯誤はいつかなんらかの形で実ると思う。
・それから最近、インデペンデントなスタンスでメジャーな作品を仕上げようと努力しているCG作家が増えている。5年後、10年後の映像産業を考えると、この人達に場を提供する形で運営される「クリエーターズワールド」もとても重要だ。
・そんな場所で、銭金でブレイクした貧乏映画監督(@処女作準備中)のギー藤田さんとばったり会って驚いた。
4月3日「石井聰亙監督の獲得したもの」
・石井聰亙監督がハイビジョンで、自主制作体制で創り上げた新作映画『鏡心』を観る。創作に煮詰まった女性映画作家(市川実和子)が、撮りかけの映画をほったらかしてバリ島に行く、というシンプルな話。こちら側の世界とあちら側の世界が、どちらもきちんとくっきりと映し出される。
・石井監督自身がカメラをかつぎ、他わずか数名のスタッフで撮ったという。そのスタイルがとても気持良かったと石井監督は言う。指揮者の必要なオーケストラではなくジャズの少人数バンドの形式で、インプロビゼーションの発生を仕掛けていったという。風景も、役者の演技も、まるでドキュメンタリーのようにリアルだが、その映像は、決して貧しくない。渋谷の街並みやバリ島の自然が、この映画のために全て計算ずくで作り上げた巨大セットのように見えるのだ。
・石井監督は、ビデオカメラで撮る映画の文法を獲得している。その技量を持ってして、計算されつくしたフィクションを、ウソのないナマの映像で作ろうと、考えたのだと思う。
4月4日「脳味噌ぐちゃぐちゃオナニーシーン最高!」
・『-less(レス)』試写。極限状況ものサスペンス・ホラー。監督は新人のジャン・バティスト・アンドレアとファブリス・カネパ。夜闇を走るクルマに同乗した夫婦とその娘、息子、そして娘の婚約者。森の中の道端で、赤ん坊を抱いた女を見つける。そこから先はなぜか同じ道から出られなくなる。ぐるぐる走り続ける家族に身の毛もよだつアクシデントがうち続き、一人また一人と惨殺されていく。
・と書くとくらーくしめったホラー映画と思われそうだけど、実際はすごくいいテンポでげらげら笑いながら観られる。一家のめんめんがどいつもこいつもボンクラで、ちっともかわいそうじゃないところがいい。緊迫のさなか息子はマスターベーションをはじめるし、お父さんは死体を枝でつんつんつついてるし、お母ちゃんも娘も浮気してたってことが発覚するし。
・スティーブン・キングやデビッド・リンチの影響を受けた世代の監督が、いい具合にフザけつつ作ったという感じ。きっとオタクなんだろうなあ。お父さん役のレイ・ワイズは、ただリンチ組だってだけで起用されたのだろう。
第207回
3月28日「マンガ/映画/アニメ」
・稲垣理一郎先生(『アイシールド21 』原作者)と少年ジャンプ編集者の方々、来社。「少年ジャンプ・デジタルマンガ賞」審査を開始。稲垣さんはネットやCGのことにもとても詳しいので、個々の作品の評価だけでなくデジタルマンガの未来性についての話でも、盛り上がる。
・このとてもユニークなコンテストも、もう3年目だ。この領域でクリエーターが着々と育っている様子が良くわかる。ショートムービーやゲームとの境界もかなりなくなってきた。「デジタルマンガ」とはビジュアル性と個人作家性の強いインタラクティブ作品をひとくくりにしたジャンルと定義してもいいような気がする。
・発表は近日、少年ジャンプ誌上やウェッブページ(http://jump.shueisha.co.jp/henshu/digital-manga)で。過去の受賞作家が連載しているコーナーもあるので、ぜひチェックしてみてほしい。
3月29日「アニメ/映画/マンガ」
・『MASK2』試写。実写と3D-CGの合成で、コミック世界で培われていたデフォルメ表現を超リアルに映像化してしまう、という試み。期待通りのパターンで、今回は赤ん坊のアクションが見物だ。実写の赤ちゃんが元気に飛んだり跳ねたり、だけでなく小賢しく立ち回ったり小芝居したりする。リアルなのもいいがこのあたりでそろそろ気持ち悪くなってしまう人もいるかもしれない。デジタル表現はここから先はさじ加減がとても重要になっていくだろう。
・主人公は、愛妻に恵まれながらもなかなか子供を作る決心がつかないアニメーター。その悩み方は、日本の第一期おたく世代には他人事に思えないかも。それから彼の勤務地、アニメスタジオの内部の描写が面白い。まるで遊園地のように派手で楽しそうな内装、そして社長にも簡単に話しかけられるフランクな空気、の中で、熾烈な実力主義、能力差別が実行されている。例えばステイタスによってフロアが替わる、など。その風景も実状も、誇張されたものではないのである。
4月1日「リニアモーターカー、170円で乗れるんじゃん」
・都営大江戸線は実はリニアモーターカーなのだったことを知って皆に言いふらすが、誰も信用しない。そうか今日4月1日だった。
・ただし大江戸線のは浮上式ではないけどね。でも、もうムリして浮かせなくてもいいじゃんって気がする。リニアモーターカーの研究が始まったのは1962年。僕の生まれた年だ。つまり僕らの世代はガキの頃からずーっと、「もうすぐ実現する未来の乗り物」としてこの名を聞き続けてるわけである。でもそういうものが、やや形を変えつつも身近なところで実用化してるってのがうれしいです。
・そういえば中野の裏通りはコリラックマが普通に歩いていた。これも誰も信用してくれないので写真を。