渡辺浩弐の日々是コージ中
第301回
2月28日「これは良い映画です」
・『きみにしか聞こえない』(原作:乙一、監督:荻島達也)試写。空想の電話で、時空を超えて会話を続ける少女と青年。物語も映像も計算されつくしていて息をもつかせないほど。なのに、あざとさは感じさせない。ただひたすらスタッフの真摯な姿勢が伝わってくる、そんな映画だ。
・すばらしい原作を、きちんとシナリオにして、しっかりと演技を決めて、1シーン1シーンごとに構図や光に徹底的にこだわって丁寧に、丁寧に撮られた作品。つまり若さの勢いで偶然できた傑作ではなくしっかりと計画し努力した成果の、必然としての傑作なのである。僕は劇場であと3回は観るよ。
・そして成海璃子の顔の造形は完璧ですね。整形では絶対に出せない線。
3月1日「21世紀のクンフー映画」
・香港映画『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』試写。
・この30年間、世界の映画だけでなくコミックやアニメやゲームにまで多大なる影響を及ぼしてきたクンフーアクションを、今再び本場の香港に取り戻そうという試みだ。CGもてらいなく使って思い切り派手に作っている。マンガのコマ割り、ゲームの技などがうまく取り込まれている。もちろん往年の名作クンフー映画へのオマージュもしっかり。特にブルース・リー・リスペクトなシーンが良い。
・ハリウッド映画も最近はワイヤーアクションに代表される香港映画のノウハウをすっかり取り込んでいるわけだが、アジアの強みはベタなアイデアを100パーセント純粋に追求できることだ。主人公のファイター達は80年代の少女漫画に出てくる美形男子の髪型とファッションで、全員がはっきりわかるほど厚化粧してる。主人公は刺されて瀕死になっているのに、全く無傷の少女をなぜかお姫様だっこして運んだりする。必殺技は空中でくるくる回る「ドラゴン・ドリル」な。
3月2日「キャンディーの季節」
・近所(パパブブレ/・03-5343-1286)に飴買いに行ったら平日の朝なのに行列が出来てたよ。ブームなのか飴。静岡からわざわざ買いに来たって子もいた。ついでに中野ブロードウェイに寄ってって。
第300回
2月18日「ジョジョはゲーム向き?」
・前回の続き。『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』映画版を観てすぐ、同名タイトルのゲーム版(PS2)をプレイしてみた。原作者の荒木飛呂彦氏デビュー25周年、そして「ジョジョ」シリーズ生誕20周年を記念した「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド共同プロジェクト」として並行して制作されたものだ。
・ゲームマニアからの評価はかなり悪かったようだが、僕はこれ、結構楽しめた。「すでに動いている」マンガの映像化の難しさを映画版で感じていたのだが、ゲームという形式上なら、それをかなりうまくやれるのかもしれないと感じることができた。
・3DのCGで表現される歪んだ肉体がいい。「ブッギャア!」とか「バァーン!!」とか「メメタァ」といった妙な擬音表記も、このスタイルなら実際に音声にして鳴らさずに、マンガと同じように絵の一部分として派手に表示できるわけである。一瞬耐えて変なポージングをすることで戦闘が有利になったりするのだが、その微妙な間合いもうまくできている。
・名作マンガには通常の映像化よりゲームとしての映像化に向いているものが多いような気もする。
2月19日「東京都が評価するアニメ」
・東京アニメアウォードの審査。今度はノミネート部門で、推薦する作品タイトルやクリエーター名をリストにしてファックスで送ればいい。例えば『ゲド』と『時かけ』を同列に比較することは難しいので、こういう場合、審査基準をきっちり提示してもらうと非常に助かるわけだ。東京都としての究極のメリットは税収なわけだからここでは商業性を重視するということになる。ただしそれはかなりの長期スパンで考えるべきものだろう。
・やはり今年も見逃している作品も多いが、全部ちゃんと見るのは物理的に不可能だから、これはできるだけたくさんの人が自分なりに努力して審査するしかない。アニメについてはこの1年、個人ブログの情報と、それと大きな声ではいえないけどユーチューブにずいぶんお世話になったなあ。
2月25日「おはよう」
・かたつむりが冬眠から覚めた。川べりを散歩していたら陽光のなか流しびなで賑わっていた。世界も自分もいろいろ大変だけど春は万人にやさしい。
第299回
2月15日「見る気ィ?」
・中野ブロードウェイの不二家ももちろん休業中なのだが、店の前でペコちゃんのコスプレして立ってる人がいてじんわりおかしい。「代わりに立ってるんです」のことである。もちろん舌はずーっと出しっぱなしである。いたり、いなかったりする。
2月16日「ケータイ小説って」
・と切り出した瞬間にフンと鼻を鳴らす人がほとんどで、あれが文学なのかどうかという話すら、始まらない。素人のティーンエイジャーが親指だけで書きつづった自分語り小説からヒット作品が続々と生まれている現象について、プロの出版人は、きちんと考察・検証するべきだ。稚拙なのになぜリーダビリティーが高いのか。タダで読める状況でなぜ多くの人々が単行本も買うのか。
・たいていの日本人は、物心ついた頃、読み書きを「お勉強」の一つとしてスタートする。文章の能力に点数をつけられることが当然だと思い込まされる。そして、そういう価値観の世界で勝ち抜いてきた学歴エリートの方々が、コンテンツの世界でも決定権を持つようになっている。文学は崇高なものであって作家というものは賢く偉くなくてはならないという信念は立派だ。しかしそれ以外の考え方を受け入れないと、お客は一気に移動してしまうだろう。
2月17日「傑作マンガを映像化するには」
・『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』観る。意外にも映画化は初。今はジョジョのことを書くチャンスだな。
・ゼロからものを作りはじめる時の心細さは、経験のある人ならわかると思う。自分のやろうとしてるものは本当に形になるんだろうか。こんなに妙な変なことを世間は理解してくれるんだろうか。その恐怖で、つい筆がすくむのだ。そこから先に進むために、酒や薬の力を借りてしまう人もいる。そういう時、『ジョジョ』を読み直すと、勇気をもらえる。こんなにも奇妙な話をこれほどまでに全力で、描いて描いて描き続けて、成功している人がいる。設定も、セリフも、ポージングも、言葉では説明しきれないほどに捩れていて、ばらばらで、なのに、その線の一本一本には全く、迷いがない。自分に才能があるのかという疑問に囚われ悩んでいる若者は多いと思うが、これ見たら半端なもやもやは吹っ飛ぶと思う。才能とは、自分を100パーセント信じることによって発露されるものなのだ。
・さて映画について。これほどの素材を使ってなぜここまでこじんまりと理性的にまとめてしまおうと思ったのだろう。無意味だからこそ有意義だったシーンが多くカットされ、パースも修正され、さらに重要なセリフやキャラクターがざくざくと削られている。90分という尺の限界はつらかったのだろうが、いくら原作要素をカットしても、映画は「映像ならでは」の演出によってそれを補えるはずなのだ。
・なんて意見はちょっと酷なわけである。これはもともとあまりにも動いているマンガなのであり、それをあえて映像化するのは難しいということなのかもしれない。ただしそんな試みとしては『AKIRA』という成功例があった。作者自身がディレクションするしかないということか。