マツコも惚れ込んだ!? 大川Pの魅力とは?――『5時に夢中!』大躍進のワケ
―[村橋ゴロー]―
今から33年前の1982年、当時小学4年生だった筆者と大川は、西日暮里の駅ホームの上で数人の中学生に囲まれていた。何が原因かは覚えちゃいないが、たぶん筆者と大川が生意気な態度でちょっかいを出したのだろう。気がつけば、体のでかい中学生たちに囲まれていた。やばい、やられる。ズルでも何でもいい、これは先にやるしかない。大川から指南された、いつもの戦法を仕掛けた。ガタイの一番大きい相手に目星をつけた筆者は、そいつにいきなりの金蹴り。
「今だ、大川!」
「よっしゃ!」
股間を押さえうずくまっている中学生を大川はその腕(かいな)でむんずと持ち上げると、そのままルー・テーズばりのヘソで投げるバックドロップ一閃。駅ホームのコンクリに後頭部をしこたま打ち付けた相手は「うう……」と、もんどりうった。
「ムラ、逃げるぞ!!」
この声を合図に僕らは猛ダッシュ。小学生相手に先手を打たれ呆然とする中学生一団を尻目に、多少のズルイ手は使ったが、僕らは逃げ勝った。
この「大川」とは、のちのTOKYOMX『5時に夢中!』のプロデューサー、大川貴史である。彼と筆者は、小学生時代の塾で一緒だった。『ゴジム』といえば、彼のケンカ戦法よろしく各局のテレビマンたちが「ズルイ」とほぞを噛むほどの、過激な物言いが人気の番組である。
そんなゴジムがいかにして「お水の『めざましテレビ』」と呼ばれるほどに成長したその理由が、大川が記した『視聴率ゼロ! 弱小テレビ局の帯番組 5時に夢中!の過激で自由な挑戦』に書かれてある。
「製作費、会社の規模、番組制作能力、そのすべてが“キー局の10分の1、NHKの100分の1”」
そう言われた東京メトロポリタンテレビジョン1期生として入社した大川は、28歳でいきなり制作部に配属される。そこで彼は、ふと気づくのである。「自分には番組づくりの才能がまったくない」と。ゴジムを観ていて一番目立つのが、「ガハハ」と大声で笑う大川の声。これからもわかるように昔からガサツな性格で、たぶん「ガサツ」を擬人化したら「大川貴史」になるほどのガサツっぷり。どんなにシャレたレストランをたくさん知っているヤツより、野太い一本糞を捻り出せるヤツを「漢」と認めるような人間に、クリエイティブな才能があるわけない。
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