渡辺浩弐の日々是コージ中
第281回
10月8日「ひらきこもり力が階級を逆転させる」
・パソコンとネットは、今や極めて低価格低燃費のツールである。高所得者層よりもむしろ低所得者層の方が活発に使っているというデータがある。ウェッブ2.0時代には、一般的に「下流」とみなされる人々の意見が、いわば「上流」の人々の行動をコントロールする。逆デジタルデバイドと言うべき、非常に興味深い現象が見える。
・今この社会は年収1000万円以上と100万円以下に分断されつつある。各企業はこの状況に対処せざるを得ない。カップラーメンでさえ金持ち用と貧乏人用として2つの価格帯が設定される時代なのである。だからソニーが、プレイステーション3をまず「上流」に普及させようとしたことは不思議ではない。ハイデフ環境はどうがんばっても下流社会へのマーケティングは無理なのだ。SCEの社長は 当初PS3の価格に対して「高級レストランの料金と社員食堂の料金を比べるのはナンセンス」という発言をした。PS3は格差社会というフレームを持ってマーケティングする。つまり当面は金持ち相手にだけ売る、という宣言である。
・企業の戦略としてこれは見事だ。しかし、このスタンスはあえて公にされることによってネット上で大きな反発を喚起し、それが企業と商品イメージにまで波及した。特にゲーム関連商品については、ネットの影響力がテレビや雑誌といったメジャーメディアの影響力を凌駕しつつある。そしてその世界でのオピニオンリーダー層とは、一般的には「下流」の層なのだ。
・ここで重要なことは、ソニーが客層から除外した人達のアジテーションが、本来のターゲットを誘導する、という図式である。常習的2ちゃんねらーでなくても、お買い物に出かける前には検索エンジン経由で2ちゃんねるの発言を見てしまうのである。
・つまり従来の広告文法では、消費力のある、たとえばF1層なんて呼ばれる人達を最優先にしてもてなさなければいかなかった。そのやり方が、崩れてきているということなのである。ひきこもりいやひらきこもり向けの広報戦略こそ、必要なのだ。
・発売前に値下げに踏み切ったのはなぜだろう。ソニー内部に、そこに着目し、前例のない戦略を構想した人がいたということなのだろうか。そう考えていくと、今後の戦略が非常に興味深い。年末年始のニューハード戦争は、テレビCM「以外」に有効な予算を費やしたメーカーが勝つはずなのだ。
10月9日「ひらきこもり直し」
・『ゲームラボ』の連載「三十才のハローワーク」は、ひきこもり状態からなんとかひらきこもろうと努力しているラノベ作家、梟氏にバトンタッチすることになった。密室でそれぞれの苦闘を続ける若者達を応援しよう……という主旨のページだから、これが一番良い結末である。
・さて少し前、拙著『「ひらきこもり」のすすめ』が絶版になった。絶版(すなわちオーダーに対応しなくなったという状況)をきちんと教えてくれる出版社は良心的だと思う。対応してすみやかにアクションを起こせるのは作者本人だからだ。さらに良いことに、同じ出版社の別レーベルからお声をかけてもらえた。
・前作が手に入らないという状況にかんがみ、バージョンアップという形での再発に向けて努力したい。特に、ウェッブ2.0時代のクリエーター戦略について、この機会にもう一度きちんと考察しようと思っている。
10月10日「プラトニックチェーンな時代」
・SNSによる情報流出問題は、その主体や責任が個人にある、ゆえに必ず解決策があると思う。
・ところで最近ミクシィ内で、自分が40年前(幼稚園時代)に書いた寄せ書きを見つけて驚いた。当時の方が字がうまかった。
第280回
9月25日「世界に、あるいはたった一人に見せたい映画」
・『めぐみ-引き裂かれた家族の30年』試写。1977年に北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんを捜し求め続けてきたご両親(横田滋さん・早紀江さん)ほか、拉致被害家族達の長きに渡る苦闘を描くドキュメンタリー。
・アメリカ映画である。インタビューシーン以外は日本の各テレビ局の素材を使っているため、我々日本人は何度も観たことのある映像が多い。ところが、見慣れていたはずのもの(例えば、北朝鮮の手によってつぎはぎに作り直されためぐみさんの写真)が、このフレームの中で見ると、思わず呻いてしまいそうになるほどの迫力を持つのである。フェアな報道とは別に存在する、作り手の視点を明確にしたドキュメンタリー映画の価値を再認識させられる。
・もし今、いきなりめぐみさんが戻ってきたら。長い間むこう側で暮らしすっかり考え方が変わっていたら、どんなふうに話しかければいいだろう。横田夫妻でなくても、そんなことを考えたことがある人は多いだろう。僕は、まずこの映画を観てもらったらどうだろうと思う。
9月26日「あの反米はこの反米と同じか」
・ドキュメンタリー映画を観る。『9.11-8.15 日本心中』。現代の日本のありようを、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロとの関係において見つめ直す、という意図で、様々な評論家、思想家にインタビューする。
・911というよりそれ以降のアメリカの動きに対応して盛り上がってきたイデオロギーを捉えて、戦後日本のありようについての異論を再提出する試みだと思う。反米を起点とした民族主義、そして南北朝鮮などアジアへの傾倒が、今改めて、とうとうと語られる。ただし、これについては団塊世代の人達がかつて大騒ぎをもってアジテートし、結果、完膚無きまでに叩きのめされたものだということを30代以上の人は知っているだろう。例えば北朝鮮に理想郷があると思いこみ、飛行機をハイジャックしてまでむこう側に行ってしまったような人達のことを、今の30代以下の人はひどく格好悪いことだと考えるだろう。そこが難しい。
・パレスチナ闘志の父と日本赤軍リーダーの母のもとでレバノンに生まれ、数奇なる生い立ちを経て日本にたどりついたジャーナリスト、重信メイの発言は興味深かった。出生届けも出されなかったという彼女のスタンスは「グローバル」ではなく「根無し」である。そこに大きなヒントがあるかもしれない。
9月27日「この反米はあの反米と違うのか」
・『グアンタナモ、僕達が見た真実』。旅行中、観光気分でアフガニスタンに入り込んでしまったパキスタン系イギリス人の若者3人が、そこで運悪く戦闘に巻き込まれ、アメリカ軍に拘束される。英語が喋れることがかえって災いし国際テロリストと誤解され、グァンタナモの収容所に送られ、長期に渡る拷問を受ける。そのプロセスを正確に再現する。実際のニュース映像や本人達のインタビューを挿入し、またグアンタナモ内部の風景については資料に基づいてセット再現している。
・不運な若者達より、グアンタナモ自体がこの映画の主役である。そこはキューバの一部を占拠する形で作られた特殊な基地である。国交のない国の領内にあるため、アメリカの法律も国際法も適用されない。それを利用して、主にテロリスト容疑者が収容され、公正な司法手続きを経ずに拘束や取り調べを受けているらしい。
・万人が「自由」で「平等」な世界なんてありえない。絶対的な「正義」は存在しない。しかし、その理念でアメリカという国が成り立っているのは、必然的に発生する捩れや綻びの部分を、国の外側に押しつけているからだ。グアンタナモ収容所はその象徴なのである。
・しかし、押しつけるべき「外側」が無くなった時、このシステムはいきなり破綻する可能性がある。自由・平等・正義の御旗のもとでアメリカの幸せ家族の一員となっている日本も、実は非常に危うい状況にあるのかもしれない。
第279回
9月23日「東京ゲームショウ2006その2」
・前回に続きゲームショウ会場から。PS3ゲームもXbox360ゲームもびびるほどに美麗で緻密である。今ここがマイルストーンと言えるポイントがある。まず、人物の表現について感性的に実写に追いついたということ。例えば格ゲーでは肌にズームすると毛穴までが描写されている。テニスゲームでは胸に浮き立つシャラポッチまで再現されている。ゲーム製作環境はこの表現力をもって映像業界への進出を加速していくことになるだろう。
・そして、家庭内環境がアーケード環境を超えたということ。セガは『バーチャファイター5』(PS3)を、リビングのゲーム環境を模したブースでプレイさせていたが、それが明らかにゲームセンターのAVクオリティーを凌駕してしまっているのである。セガやバンダイナムコのようなメーカーはゲームセンターの位置づけを再考しているところだと思う。
・ただし、である。それは画面や音響の再生環境を含めて全部それ相応のものを揃えた場合のことなのだ。ハイデフィニションのコンテンツをちゃんと楽しもうと思ったらモニターだけでも50万以上かけないと不十分だ。5.1chのサウンド環境を整えようとしたら費用だけでなく、十分な空間面積も必要となる。
・けれどもそういう支出をいとわないマニアがこの国には十数万人はいる。彼らにとってプレイヤーが6万だとか7万とかいう話は無視できるほどに小さいことなのである。格差社会の今ソニーはPS3についてはまずそういう層を相手に始めようと考えているのだろう(値下げをしたのはWeb2.0的広報戦略において極めて重要な”名無しのオピニオンリーダー”達が、ほとんどそういう層ではなかったということに気付いたからだと思う……つまりソニーは十数億円の広告費を間接的に2ちゃんねらーに払ったということである)。
・その次のターゲットは、遊びたいゲームが出るならば無理をしてでも本体だけは買う、という層だろう。四畳半の部屋で2万円くらいのテレビに無理矢理つないで遊ぶ、というような人達が数十万人いるのだ。Xbox360、プレイステーション3、Wiiといった次世代ハードは、2007年はこういった層への普及を成していくことになる。この時点では、シェアの奪い合いという図式にはならないだろうと思われる。
・しかし、100万台から500万台までの拡大期こそが、本当の勝負となる。この時、ゲーム機はハイデフ環境と一緒に、普及していくことになる。その時点において、家電メーカーは各テレビ局と結託して、マニア以外の一般ユーザーにも強制的にテレビを買い換えさせるキャンペーンを始めているはずである。それは地上波アナログ放送が終了する2011年まで続く。各家庭の貯蓄を絞り出させて、映像と音響をフルデジタル化、一挙豪華化させる目論見である。ソニーはPS3をもってこれに乗るはずだ。そしてマイクロソフトのメインターゲットはその時、テレビ放送から離れていく層ということになるかもしれない。
・さて、各ソフトメーカーは今後どう動くか。今すぐにそういった戦略に乗ることができるメーカーは限られているわけだが、そうでなければ、横への広がりを計っていくということが重要になっていく。つまり枯れた技術の水平思考である。
・例えば携帯電話を含め各携帯ゲーム機には、まだまだいろいろな使い方があるはずだ。そして、PS2の使い方はこれからますます重要になってくるだろう。1台で全世代を席巻してしまうような市場独占型のインフラは、これが最後になるかもしれない。そういう意味で、一般市場においてこれは僕はあと5年は持つと思う。例えばシーマンの続編を出そうとか、ジョジョのファンが喜ぶキャラゲーを出そうなんて話になったら、PS2が選ばれるわけである。