渡辺浩弐の日々是コージ中
第300回
2月18日「ジョジョはゲーム向き?」
・前回の続き。『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』映画版を観てすぐ、同名タイトルのゲーム版(PS2)をプレイしてみた。原作者の荒木飛呂彦氏デビュー25周年、そして「ジョジョ」シリーズ生誕20周年を記念した「ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド共同プロジェクト」として並行して制作されたものだ。
・ゲームマニアからの評価はかなり悪かったようだが、僕はこれ、結構楽しめた。「すでに動いている」マンガの映像化の難しさを映画版で感じていたのだが、ゲームという形式上なら、それをかなりうまくやれるのかもしれないと感じることができた。
・3DのCGで表現される歪んだ肉体がいい。「ブッギャア!」とか「バァーン!!」とか「メメタァ」といった妙な擬音表記も、このスタイルなら実際に音声にして鳴らさずに、マンガと同じように絵の一部分として派手に表示できるわけである。一瞬耐えて変なポージングをすることで戦闘が有利になったりするのだが、その微妙な間合いもうまくできている。
・名作マンガには通常の映像化よりゲームとしての映像化に向いているものが多いような気もする。
2月19日「東京都が評価するアニメ」
・東京アニメアウォードの審査。今度はノミネート部門で、推薦する作品タイトルやクリエーター名をリストにしてファックスで送ればいい。例えば『ゲド』と『時かけ』を同列に比較することは難しいので、こういう場合、審査基準をきっちり提示してもらうと非常に助かるわけだ。東京都としての究極のメリットは税収なわけだからここでは商業性を重視するということになる。ただしそれはかなりの長期スパンで考えるべきものだろう。
・やはり今年も見逃している作品も多いが、全部ちゃんと見るのは物理的に不可能だから、これはできるだけたくさんの人が自分なりに努力して審査するしかない。アニメについてはこの1年、個人ブログの情報と、それと大きな声ではいえないけどユーチューブにずいぶんお世話になったなあ。
2月25日「おはよう」
・かたつむりが冬眠から覚めた。川べりを散歩していたら陽光のなか流しびなで賑わっていた。世界も自分もいろいろ大変だけど春は万人にやさしい。
第299回
2月15日「見る気ィ?」
・中野ブロードウェイの不二家ももちろん休業中なのだが、店の前でペコちゃんのコスプレして立ってる人がいてじんわりおかしい。「代わりに立ってるんです」のことである。もちろん舌はずーっと出しっぱなしである。いたり、いなかったりする。
2月16日「ケータイ小説って」
・と切り出した瞬間にフンと鼻を鳴らす人がほとんどで、あれが文学なのかどうかという話すら、始まらない。素人のティーンエイジャーが親指だけで書きつづった自分語り小説からヒット作品が続々と生まれている現象について、プロの出版人は、きちんと考察・検証するべきだ。稚拙なのになぜリーダビリティーが高いのか。タダで読める状況でなぜ多くの人々が単行本も買うのか。
・たいていの日本人は、物心ついた頃、読み書きを「お勉強」の一つとしてスタートする。文章の能力に点数をつけられることが当然だと思い込まされる。そして、そういう価値観の世界で勝ち抜いてきた学歴エリートの方々が、コンテンツの世界でも決定権を持つようになっている。文学は崇高なものであって作家というものは賢く偉くなくてはならないという信念は立派だ。しかしそれ以外の考え方を受け入れないと、お客は一気に移動してしまうだろう。
2月17日「傑作マンガを映像化するには」
・『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』観る。意外にも映画化は初。今はジョジョのことを書くチャンスだな。
・ゼロからものを作りはじめる時の心細さは、経験のある人ならわかると思う。自分のやろうとしてるものは本当に形になるんだろうか。こんなに妙な変なことを世間は理解してくれるんだろうか。その恐怖で、つい筆がすくむのだ。そこから先に進むために、酒や薬の力を借りてしまう人もいる。そういう時、『ジョジョ』を読み直すと、勇気をもらえる。こんなにも奇妙な話をこれほどまでに全力で、描いて描いて描き続けて、成功している人がいる。設定も、セリフも、ポージングも、言葉では説明しきれないほどに捩れていて、ばらばらで、なのに、その線の一本一本には全く、迷いがない。自分に才能があるのかという疑問に囚われ悩んでいる若者は多いと思うが、これ見たら半端なもやもやは吹っ飛ぶと思う。才能とは、自分を100パーセント信じることによって発露されるものなのだ。
・さて映画について。これほどの素材を使ってなぜここまでこじんまりと理性的にまとめてしまおうと思ったのだろう。無意味だからこそ有意義だったシーンが多くカットされ、パースも修正され、さらに重要なセリフやキャラクターがざくざくと削られている。90分という尺の限界はつらかったのだろうが、いくら原作要素をカットしても、映画は「映像ならでは」の演出によってそれを補えるはずなのだ。
・なんて意見はちょっと酷なわけである。これはもともとあまりにも動いているマンガなのであり、それをあえて映像化するのは難しいということなのかもしれない。ただしそんな試みとしては『AKIRA』という成功例があった。作者自身がディレクションするしかないということか。
第298回
2月9日「子供たち生きる生きる生きる」
・『それでも生きる子供たちへ』試写。ストリートチルドレン、HIV胎内感染児、少年兵士など様々な状況下に生きる子供たちを描くオムニバス映画。
・アメリカからスパイク・リー、中国からジョン・ウー等、7カ国から選出された監督たちが現地の子役を使って撮影している。現代の子供たちを、機械から生み出される製品として捉えるのではなく、一人一人に同じ目線でしっかりと向き合い、その苦しみや喜びをリアルに捉える。悲惨な現場ばかりなのだが、この方法で描き出されると子供たちは皆とても生き生きとしていて、痛々しくない。むしろこちらが元気をもらえるほどだ。
・原題は『オール・ジ・インディビジュアル・チルドレン』。子供たち一人一人が主人公、というコンセプトがここに明示されている。『それでも生きる子供たちへ』という邦題をつけてしまう感性には、哀れんでやるとか恵んでやるという「優しさ」を感じる。そういう目線の映像では、ない。
・貧乏でも子供たちが元気ならその国は大丈夫だと思える。少子化は金で解決できることではない。それからとても難しい作業かもしれないし文化的な大人の方々はナンセンスだと思うかもしれないが、字幕だけでなく吹き替えバージョンも作って欲しい。
2月13日「幽閉されてなおテロリスト」
・『幽閉者(テロリスト)』。伝説的映像作家・足立正生の、なんと35年ぶりの新作。60年代にアングラ映画界で注目を集めた後、パレスチナに渡って日本赤軍に参加してしまった、つまり本物のテロリストである。その後強制送還、投獄を経てのカムバックというわけだ。
・この作品は、1972年のテルアビブ空港乱射事件の犯行メンバーの中ただ一人生きて逮捕されてしまった岡本公三をモデルにしている。全体の90%以上は獄中の拷問シーンで、主演の田口トモロヲがひたすらのたうち回り、神経に障る不協和音が延々とかき鳴らされる。このノイズは、監督自身が35年間聞き続けてきたものかもしれない。痛みのリアリティーは凄まじい。頭の上に水を垂らし続けるだけの水滴拷問がなぜ苦しいのか、これを見れば理解できる。
・団塊クリエーターが人生の総決算を始めている。同世代(団塊老人)向けのなあなあのものだけではなく、若者をして慄然とさせるものも多数生まれてくるだろう。10代、20代の人もぜひ。
2月14日「チョコレートばんざい」
・「甘いものは太る」とか「甘いものは虫歯になる」というのは歪んだ禁欲主義が生んだ嘘だ。チョコよりごはんの方が太るって。甘いものより酸っぱいものの方が歯に悪いって。
・子供には、普段甘いものは与えない。言うことを聞かせたい時にだけ「ごほうび」として使うためだ。と、いう親がよくいるでしょう。すごく小さい頃ならそれはいいと思うんだけど「なぜ甘いもの食べちゃいけないの」という問いを発するくらいの歳になった時、「太るから」とか「虫歯になるから」なんて非科学的な言い訳でごまかしてはいけないと思う。「餌付け」ではなく信頼関係をもって教育するべきなのだ。
・「甘いもの逆差別」がどこから始まったのか調べてみると、どうやら敗戦直後の日本がそういうふうにして飼い慣らされたことが発端のようである。だとしたら民族の根源に関わる問題である。かつてチョコレートのためにプライドを捨て土下座した世代にだけは偉そうにしてほしくないと思う。
・ところでチクロの有害性は結局実証されなかったということをご存知か。チクロ使用禁止は、焼け野原から立ち上がってきた日本の新興ジュース会社を叩きつぶすための、アメリカのあの清涼飲料水メーカーの陰謀だったという説もある。
・今年最大のヒットは手作りの虫チョコでした。いや不二家じゃなくて。