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どの命を救うのか、決めるのは予算の都合だ。どこかで諦めねばらない/倉山満

日ごろ「戦争で殺されても、憲法9条を守れ」と吠えている護憲派は、どこに行ったのか

 補償にしてもそうだ。皆が自粛に耐えられるような補償金とは、売り上げの全額補償だ。政府内には「銀座のクラブの売り上げまで全額補償すれば財政支出は青天井になる」との声があり、中途半端な補償に留まっている。  しかし、ペストのような国家経済を止めざるを得ないような疫病ならば、銀座のクラブに全額補償をしてでも自粛させるべきではないのか。財源など、100兆円でも1000兆円でも、国債を刷って借金をすればいいではないか。尾身氏は、それを主張したのか? していないならば、新型コロナとは、その程度の存在なのか?  ここで、「銀座のクラブにも全額補償せよ」を極論と思うだろう。その通り、極論だ。ただし、憲法論では当然の議論である。  日本国憲法第29条は「財産権は、これを侵してはならない。」との原則を示している。ただし第2項で「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」と例外を定める。公共の福祉とは「みんなの為」だ。国民が選挙で選んだ議員が定めた法律によってのみ、国民の権利を制約できると例外を定めている。そして第3項で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と条件も定める。

正当な補償とは何か

 では、正当な補償とは何か。実は通説はない。学説では大きく二つの説がある。一つは全額補償説。みんなの為に個人の神聖な権利である財産権を制約するのだから、市場価格に応じて全額補償すべきであるとの考え方だ。憲法典の条文を素直に読めば、この解釈になる。  もう一つは相当補償説。同じ理由で、補償額が市場価格を上回っても構わないとの考え方だ。これを「本来の相当補償説」と呼ぶ。  だが実務上は、補償額が市場価格を下回っても構わないとの考え方が支配的だ。最高裁判例など実務では、こちらが相当補償説とされる。  ここまでは1億円の売り上げを犠牲にさせる時に、1億円を満額払うか、上回っても構わないか、多少は下回っても構わないかの議論だ。
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「コロナは危険だが補償金は出さない」は最悪の政策
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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